このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



コロ記

このままずっと

<平成10年3月20日>転落事故12日前、シクラメンを撮っていたら・・・
 事故から2日後には食欲も戻り、見た目の痛々しさを除けば体の方も順調に事故前のコロへと戻っている。顔と前足に残る血の固まりも、徐々に取れていくことであろう。コロの体調が良くなってくると、私は転落した時の事を考えるようになっていた。もちろんそれはコロの内面的な事ではなく、現場検証の様な事故状況についてであった。コロの内面的な問題については、私が考えたところで解決できる問題ではないと思えたからである。

 さて、当時の様子から考えてみよう。ベランダの手すりの柵と柵の間には10センチの隙間がある。その隙間からは人こそ落ちないものの、小動物であれば通る事が出来る間隔だ。しかし私は、その隙間からコロが落ちるなどという事を考えた事もなかった。コロは手すりの隙間から顔と前足を外側に出し下を見るのが好きだった。自転車通学をしていた当時の朝、玄関でコロに「行ってくるね」と挨拶をして家を出る。ベランダから見える自転車置き場に着き家のベランダを見上げると、コロは隙間から顔を出し4階から私を見送るのが日課となっていた。その隙間からは他にも、鳥や野良猫や人、車などを見ていたのである。
 ここからは、あくまで私の推測の域だが、外を見ようとしたコロはいつもの様に顔と前足を手すりの外側に出した。しかしその瞬間、体のバランスを崩したか、意識感覚の低下により、それ以上に体を外側に出してしまったのであろう。するとコロの体は空中へと放り出される。すぐに足を下に向けた着地の姿勢にはなったのだろうが、距離が長すぎた。例えば4階から生卵を落としたとしても、加速度が加わり黄身白身はもちろん殻までもが四方八方に飛び散るであろう。4キロという、猫の体重にしては若干軽いコロでさえも、その衝撃を考えれば、想像を遥かに超える力が、一瞬にしてコロの体を襲ったに違いない。
 コロが落ちた場所は花壇の外側の通路である。歩きやすい様に敷き詰められたコンクリートの板の上に右足、板と花壇の柵の間の土の上に左足があった。当初、土がクッションとなり、コロの体は守られたとも思ったのだが、実はその前に、別の物に当たった可能性がある。コロの怪我の状況を見ていると、顔と両前足にキズを負い出血しているものの、体の後方に怪我らしい怪我は見当たらない。単純に落ちただけと考えれば、体に切り傷等の怪我がある事はおかしいのではないか、不思議に感じた私は、コロが落ちたと思われる場所を、ベランダの隙間からのぞいて見る事とした。
 すると、コロの着地地点とベランダの隙間との間に、障害物がある事を発見する。ベランダを広く使うためなのだろうが、金具を使いベランダの外側へ洗濯物を干す様にしている家が何件かある。その洗濯物か物干し竿に当たったのではないだろうか、そこから推測すると、この様な結論となる。4階から落ちたコロ、加速度は加わったものの、途中階にある物干し竿に前足をかすり、あごを下側から強打する。そこで加速度は弱まり、そのまま地面へと着地した。前足の怪我の状況と、若干変形してしまった顔の形、おかしくなっている歯のかみ合わせ、口と鼻からの大量の出血から考えた、私の推測である。

事故後、薬を塗った前足 転落事故からの毎日、コロには薬を与える事となった。化膿止めの薬や強心剤などを混ぜてである。毎日飲む薬とコロの食欲により、走る事さえしないものの、普通に歩けるまでに回復している。それからの毎日は、食事をすれば喜び、水を飲めば喜び、おしっこをすれば喜び・・・と、どんなちいさな事でも幸せを感じられる毎日へとなっていた。ただ心配な事がある、事故の再発だった。万が一に備え、それまで開けたままだった全ての窓は閉める事とする。換気の為に開ける場合は、必ず窓のそばに人がいるようにした。しかし、それでは若干生活が不便になる。次の日曜日にホームセンターへと出掛け、ベランダとすべての窓に取り付ける網を購入しさっそく取り付けた。しかし、その予想とはまったく正反対に、当のコロはどこかに嫌な記憶が残っていたのか、ベランダに出る事が嫌いになっていた。

 歩く事も食事も、何もかもが普通に出来るように回復したかのように見えたコロだったが、突然の嘔吐をして苦しみだす事が度々続く。呼吸が早くなり、今ここに寝ている事自体が辛そうにも思える。漠然と転落事故が原因と言う事はわかってはいるのだが、突然の事故によるその原因を決して認めたくはない自分がそこにはいた。そんな時には何もできないでいる私、それが現実だった。これから向かおうとしているその先に、何が待っているのかわからない。抱えきれないくらい大きな夢だけはあるのだが、その夢を支えている細くて長い柱も、コロが苦しみだした瞬間に今にも崩れそうになる。目の前で起こっているその現実に対しては、どんな夢も一瞬にして消えて無くなりそうだった。
 そんな時、自然と目標を立てている自分に気がつく。目標、つまりその日までコロに生きていてほしいという日付だ。事故から14日後の3月20日はコロの18回目の誕生日。事故がなければ何も考えずに迎える事ができた誕生日だったのであろう。「18歳のお誕生日おめでとう」この一言を言える日がくる事を目標としていた。もしかすると目標などと言うものの正体は、遥か彼方とても見る事ができないくらい遠くにある、夢に到達できなかった時に「ここまで来れたから良かったね」と、自分に対する言い訳の為に立てるものなのかもしれない。しかしそんな事は言っていられる状況ではなかった。突然苦しみだすと同時に、そのコロの命の炎は今にも消えそうになる。

 毎日与えている薬を飲んでいても苦しむコロ、そんな時に私が出来る事。はじめのうちはコロの手を握り「苦しいねぇ、痛いねえ、大丈夫かなぁ、痛いの痛いの飛んでけ」こんな事を話すしかなかった。しかし薬などの科学の力が頼れない時、頭に浮かんだのは父だった。それは神秘の力とか宗教の力などではない、単純に親子の絆のような力を願ってである。ひげの付根に薬を塗りました
 苦しみだしたコロも、時間がたつと落ち着いてくる。そんな時に私は仏壇の前に座り眼を閉じる。ろうそくを立て火を着け、線香を1本立てながら合掌。「コロが元気でずっと暮らせますように」そこに居るはずの父にお願いする。
 実は私はお参りなどで手を合わせる時、ほとんど何も願ってはいない。かっこよく言えば「無」になる為なのだが、実際のところ、数えたら108を越えてしまうであろう煩悩の、どの願いを叶えてもらうか迷ってしまうからなのである。そんな私もこの時だけは、頭の中に元気に走りまわるコロを想像して父にお願いをしていた。
 般若心経や修證義などの経本に書かれているお経をすべて読み、何度も父にお願いする。1時間弱の間、私は仏壇の前に座っているのだが、ちょうどお経を読み終わる頃、自然とコロの体調は良くなっており、その分私の足にはしびれと言う名の激痛が走っていた。度々そんな事が続いていると、お経もだんだんと読めるようになってくる。1時間近くかかっていたものが30分ほどで読めるようになり、更に般若心経などは経本がなくとも、唱えられるようになっていた。

 3月20日、目標としていた日がやってきた。朝一番に「おはよう、お誕生日おめでとう」「にゃお」私とコロの会話。言葉では表わす事ができないくらい大きな幸せの瞬間。このままずっと同じような毎日が続く事を願いながら無事に18歳の誕生日を迎えられたコロ、次の目標はコロがやってきた5月の20日だ。しかしこれからも様々な出来事が起こるのであった。



がんばって

<平成10年3月>おこさないでね
 日本語は難しい。とは言っても私は日本語しか話せないので他の言葉と比べる事は出来ないのだが、それでも日本語は難しいと思う。例えば「いい」。文章ではたった2文字のこの言葉、発音の違いでは、肯定的な「いい」と否定的な「いい」とに分けられる。会話の途中でもたまに、どちらなのか分からずに聞き返す事がある。そんな時はたいてい、否定的ではない事を願いながら聞き返す事のほうが多いのだ。
 また言葉の中には、そのたった一言に重要な意味が含まれる事もある。まさしく「言霊」と言う表現がぴったりと当てはまるような言葉もあるので、日本語は本当に難しいと思う。

 コロの転落事故が起こる前のとある日、知人と会話をしている時にその知人がふっと話し出した。「『がんばって』という言葉、人に対して言ってはいけないんだって。人に『がんばって』と言う時、その人は既にがんばってる時なんだから、それ以上にがんばれって言う事になるから、いけないんだって。」
 その話しを聞いた時の私の脳裏には、私がそれまでに発言した「がんばって」が頭の中を駆け巡っていた。昨年、一昨年と親戚の葬儀が相次ぐ。最終的に私の父の葬儀でピリオドを打つのだが、葬儀の式次第を自分で言えるほどまでに葬儀が続いた。葬儀が続いたと言う事は、もちろん別れも続いた事となる。私が生まれた時からお世話になったおじさん、おばさん達との別れ。
 そのほとんどの別れの最後が「がんばって」だった。私が発言した「がんばって」。お見舞いに行くと、元気だった時には想像もつかないくらいにやつれてしまったおじさん、おばさんが病院のベッドの上にいる。その病室で帰り際に必ず言っていた言葉「がんばって」そのシーンがひとつずつ流れていた。お見舞いに行く前に余命が短い事は聞かされてはいるのだが、帰り際に適当な言葉を見つけられずに言っていた言葉だ。その数日後には訃報を聞く事となるのである。知人との会話の途中で、私の頭の中には「がんばって」=「死」の方程式が浮かんでいた。
 人によって意見の食い違いはある。私も人からがんばってと言われれば、それはとてもうれしい。こんな私の事を気に留めていただいている訳だから。しかし、その意見にも一理あるような気がする、難しい。私の結論は、自分から発言する「がんばって」をやめることだった。

 コロが転落事故を起こしてから、コロにはこの言葉を一度も言っていない。私の頭の中に浮かんでしまった方程式が恐いからである。かわりに「しっかり」とか「大丈夫」とかの言葉をかけるのだが、どうしても、その言葉だけは避けてしまっている。これからもきっと私の口からコロに対して、その言葉が出る事はないのであろう。

おこしたなぁ!

〜実はこの「がんばって」の文章は、ホームページを開設した直後の3月頃に書き終えていました。しかし内容から考えて様々なご意見が予想され、今まで掲載する事をためらっておりました。
 本文中にもあるように、コロに対してみなさまから掛けていただける言葉「がんばって」はとても嬉しい事です。その励ましによりホームページの更新が続けられたり、何よりコロの状況が良くなっている事と思います。こんな私でも、いざ「がんばって」を使わなくなると、かわりの言葉が見つからなかったり、他の言葉に同じ意見を当てはめて考えてみても、どこが違うのであろうかなどと悩んでしまう事もしばしあります。しかしどうしても、その前に続いた出来事をコロに当てはめて考えてしまうと、私の口からコロに対しての「がんばって」は言えない言葉となってしまいました。また私はコロに対して「がんばって」と言える立場ではないのです。コロと共にがんばらなくてはいけない立場。この結論に達した事と、コロとの生活をコロ記にまとめる以上、こんな小さな出来事でも、正直に表現しようと思えたため、今回の掲載に踏み切りました。
 様々なご意見があると思われますが、これは私のコロに対する個人的な意見です。これからも、みなさまからの「がんばって」をしっかりと受け止め、毎日を過ごしていく所存でございます。〜



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