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コロ記

すてきな目覚まし

<平成11年6月23日>
 ピィーピィー。その日の朝もいつものように目覚ましの音で目を覚ます。私にとってその日は、楽しみにしていた日であったので、今でも良く覚えている。ゴルフや釣りへ行く日には早起きをするお父さん、まさしくそれにあたるのであろう。私にはどちらの趣味も無いし、ましてやお父さんでもないのだが、楽しみな日には目覚ましよりも早く起きる。メロンと一緒
 楽しみな日、それは自分の車でサーキットを走る日の朝だった。いつもの朝より早いため、前の晩に2個の目覚ましをセットする。明け方、なんとなく目が覚めたかなと思った所で、目覚ましが鳴り出した。ピィーピィー、ピィーピィー、さっそく起きて目覚ましのスイッチを止め、朝食を食べはじめた。
 しばらくすると止めたはずの目覚ましがピィーピィー、まだ鳴っている。寝ぼけているのでスイッチの切り忘れかな、などと思いながら、部屋へと戻る。
 考えてみると私は、ピィーピィーと音のする目覚まし時計を持っていない。何の音だろう、寝ぼけている私の頭はフル回転で音の正体を考える。不規則に鳴るピィーピィー。部屋にある音の出そうな物を見ても、異常はない。そんな時、音のする方向がわかった。
 部屋の窓側に置いたスピーカー、その方向から音がする。もちろん、スピーカーにつながれているCDプレーヤーなどの電源は入っていないので、スピーカーからの音ではない。恐る恐るスピーカーの下をのぞくと・・・。

 私は一瞬、動けなくなっていた。いざとなると小心者に早変わりする私の心は、朝の突然の出来事に戸惑っていた。と言うよりも、お互いに驚いていて同じ状態だったのだろう。お互いの目があったまま二人は動けなくなっていたのだと思う。ピッピーと私。

 うちの周りには緑が多い。細かな住宅と工場がいりくんだこの街で、緑が多い所と言うと、公園やお寺になってしまうが、どういう訳か家の周りには緑が多い。空気が違う、と感じる事さえある。春には満開の桜を上から見下ろし、夏には4階のうちよりも高い杉の木やいちょうの木で緑一面となる。秋はいちょうの紅葉にぎんなんもたくさん実り、冬はみんなじっと充電する。そんな環境のなかで、様々な動物たちがいる事を先日再認識した。ピッピーのおかげで。
 チュンチュン、カーカー、ポーポー、家にいると聞こえる鳥たちの会話、たまにどこかで飼われているホーホケキョもまじるのだが、どれもピィーピィーではない。ピッピーはいったい誰なんだろう。私は近所の観察をはじめた。すずめ、ハト、カラス、猫、近所にいる野生の動物はこの位だと思っていた。しかし、じっくり見ていると、いろいろな動物たちが生活している事に気がつく。夕方、薄暗くなると建物の間をぴゅんぴゅん飛ぶコウモリ。ベランダの植木の間からはヤモリが顔を出す。そんな中、ピィーピィーと鳴く鳥を発見。あわてて写真に撮り図書館へ走った。鳥類大図鑑などという分厚い本を端から何冊も読む。そのうちに写真と同じ鳥を発見、「ヒヨドリ」。私が鳥の事を知らなすぎるのかもしれないのだが、新たな発見だった。しかし鳴き声は同じでもピッピーとは体の色が少し違うようだ。ピッピーに名前を聞いておけば良かったとも思ったが、考えてみれば、人間が勝手に付けた名前なので、ピッピーにもわからないのであろう。
 結局のところ、図鑑には大人の姿しか載っていない為、子供の時とは毛色が少し違うのだろうと思う事とした。


たんす 近所の鳥たちはうちのベランダに、私には見えない看板を下げているのだ「立入危険、怪獣コロに注意」。コロが来て以来、ベランダに鳥がやってくる事が少なくなった。いや、ほとんどやってこない。中には勇気あるチャレンジャーもいて、コロには手の届かない高い所に止まるのだが、めったに無い。
 そんなストレスからか、野生の本能からか、コロもハンターに早変わりする事がある。近くの木に巣を造る鳥達。巣立ちの季節、巣を旅立った小鳥達にはベランダの看板が読めないらしい。すぐ近くを飛ぶ小鳥を、ベランダの手すりの隙間から一瞬で捕まえる。さんざん、おもちゃとして遊んだ後、口にくわえて家の中へ。「見てみて、捕まえたよ!すごいでしょ」そんな表情をしながら。コロの本能を怒る訳にもいかず、小鳥に処置をして自然へと帰す、そんな事が何度かあった。

 ピィーピィーの持ち主。まん丸でまっ黒な目をした全身深緑色の小鳥。巣立ったばかりの小鳥。ピッピーは私の部屋のスピーカーと壁の間のカーテンに包まれるようにいた。まん丸な真っ黒お目めで私を見上げながら。
 ピッピーのいたすぐ上には窓があり、窓は20センチほど開いていた。コロの転落事故があって以来、窓の外の手すりには、再発防止用に網を貼っている、その網とカーテンとによって、ピッピーは外に出られないでいたのだろう。
 窓とカーテンを全て開け、ピッピーをやさしく手にのせると、ピッピーはピィーピィーと鳴きながら、大空へと羽ばたいた。

 同時に、私にはもうひとつの現実が訪れていた。ほんとうなら一番に気がついていたであろうコロ。ほんとうなら一番に小鳥の所に飛んでいきたいであろうコロ。ほんとうなら捕まえて私に一番に見せたいであろうコロ。
 しかし、コロはもうすでに、自分の力では自由に歩けなくなっていたのであった。

 平成12年春、樹木が黄緑色の若葉で覆われている。そう、また巣立ちの季節がやってきた。ピッピーの子供たちが巣立つのも、あと少しだろう。ベランダでじっとしていると、小鳥たちが私の頭の上で楽しそうに旋回を繰り返している。そう言えば・・・・・もうベランダの、あの鳥たちが下げた看板は取り外されたのだろう。コロが自分で、自分の足でベランダに出る事はなくなったのだから、たぶん。



わたしのたからもの

<平成12年2月17日>ペロ
 パソコンと私との付き合いは、思ったよりも長い。工業系の学校へと進んだ私は、当時の高性能機種だったPC98を使い、C言語を専攻する。パソコンのプログラムを書く為の言葉を習うのだから、現在のパソコン普及率から考えると、かなり先の事を見据えた専攻のように思える。しかし実際は、当時夏場にクーラーがあるのはパソコン教室だけだと言う、内容よりも涼しさを優先しての、人には言えそうにない理由からだった。
 就職後も、パソコンと毎日顔を合わせる日が続く。毎日仕事でパソコンを使っていると楽をしたくなる。その楽を実現する為に、独学でプログラミングを勉強し、楽になる為のプログラムを完成させていた。今に至るまでのおよそ15年間、ずっとパソコンと一緒である。こう考えると、私はどれほどのすごい人間か、とも思えるのだが、実はそうではない。
 私がパソコンと一緒だったほとんどの時間は、MS−DOSと言う基本ソフトの世界。現在使用されている、WindowsやMACなどのカラフルな画面には程遠い、真っ黒に文字だけの画面。とても私にはわかりやすかったのだが、現在の基本ソフトは複数の処理が同時にできる。ひとつの処理でも大変な、私の頭にはついていけない世界となっていた。

 そんな私も、世の中で「インターネット」の文字が踊りはじめたころ、パソコン使いの端くれとして気になりだした。早速、最新機種を購入しインターネットへ、と理想を描いていたのだが、実際はそこからが面倒だった。受話器をとれば、世界各国へ電話がつながる時代なのに、パソコンを電話線に接続しても、何も起こらない。プロパイダーとの契約が必要となる。プロパイダーって何などと見ていると、私の優柔不断度がいかんなく発揮される。どの雑誌を見ても知り合いに聞いても、いい所が見当たらない。私のいつもの生活を見ると、ある種のこだわりを感じる方もいるのだが、結構偶然が重なっての結果である事のほうが多い。かなり早くから持っていた携帯電話、これも当時はNTTDoCoMoとIDO(現在のau)の2社だけ、現在のようにPHSを含めると、たくさんの会社があったなら、私もかなり悩んだであろう。
 そんな時、私に一本の光がさす。「車を買うと3年間インターネット接続無料」というキャンペーンだ。なんと、私はその車を購入していたのだった。さっそく接続ソフトを入れて、インターネットの世界へ自分のパソコンを接続してみる。最初はメールからだった。
 昔からの悪友が、「テスト」という文字と同時にHな画像を添付して送ってきた。これがメールね、でも用があったら、携帯電話に連絡したほうが早いでしょ。最初の私の感想だ。
 当時、2000年問題が騒がれていた為、メーカー各社はこぞって「ホームページで詳しくお知らせします」とうたっている。情報番組などでは、まるで宝石箱のようにホームページを取り上げているので、期待を膨らませて接続した。すると、「詳しくはカタログをご覧ください。」「お問い合せ先電話番号」などの文字が踊っている。インターネットの無い世界でもあまり変わらないと思えた。そんな私が友人に発した一言は、「インターネットって、必要かな」だった。

 それから約半年、私はインターネットへの接続をしていない。考えれば、なんとももったいのない話しなのだが、そんなある日の休日、時間を持て余しなんとなく接続をしてみる。いろいろと見ているうちに、掲示板の文字を発見。掲示板と言えば駅の掲示板しか知らない私は、なんだろうと疑問を感じながら先へと進む。興味があるのは、車と猫などと見ているうちに、猫の掲示板へとたどり着いた。
 興味本位でのぞいていると、飼っていての楽しさと共に相談、悩みなども目に付く。と同時にみんなの猫ちゃんが若い事にも気がつく。すでにコロは19歳、長い付き合いなのだが、なんとなく一緒にいた19年間、なのでみんなに胸を張って意見を言える立場でもない。私の19年前の猫の知識は今のみんなの知識には到底追いついてはいない。実際、状況は大きく変わっていた。三種混合や四種混合などという毎年の予防接種、現在では普通の事のようだが、コロはジステンパーの予防接種をこの19年の間に2度しかしていない、掲示板の世界で初めて聞く言葉。食事の実態も様変わりしていた。キャットフードが少ない時代のコロは、主にささみとなまりを食べて成長した。今の食事はそのほとんどを市販のフードに頼ってはいるが、いろいろな意見が掲示板の中で飛び交っている。食品添加物、総合栄養食、さらに海外のフードなども多数輸入されている。今までは考えてもいなかった事だった。猫の種類までもたくさん増えているこの時代に、取り残されたコロと私。掲示板への参加には、かなりの勇気を必要としていた。


おいしい 掲示板の世界は基本的に匿名の世界。自分の名前を決めるのだが、いい名前が思い浮かばない。友人のつけるあだ名はあるのだが、それも好きではない。いろいろと考えていると、一人の名前を思い付く。私個人のうんちくなので、次の段落まで飛ばしていただいて結構だが、私は幼い頃から、尊敬する人をもたなかった。完璧な人間はいない訳だし、人を尊敬するとその人と同じレベルにはなれても、その人を超える事が出来ないであろうという、私の変な考えからだ。一番困るのは卒業文集などでの「尊敬する人」だったが、つい最近まで私は、誰の事も尊敬していない。その結果が現在の、この私なので、みなさんには人を尊敬する事をお勧めする。
 父の死以後、少しだけ宗教に興味を持った私、家の宗派の本を買ってきて読む。「曹洞宗」と言う宗派、実はこの時に初めて知る名前だった。その本の中に、曹洞宗を日本で開祖した人として「道元」と言う人が紹介されている。宗教の開祖としては、最澄、空海、親鸞、日蓮と有名な方が多いが、実はこの方の名前を聞くのは初めてだった。道元禅師の人生を読んでいるうちに、共感している自分に気がつく。確か、自分よりも立派な方であっても、その人の言う事は全て正しい訳ではない、という感じだったと思うが、私が人を尊敬しない理由と似ている点で共感できた。もちろん、私の考えなど、道元禅師の足元にも及ばないのだが。
 お世話になっているお寺の勧めで、道元禅師が建立した永平寺へ行っての一泊体験修行や、道元生誕800年記念式典に参加させていただいているうちに、自然と道元禅師が私の尊敬する人となっていた。もちろん、その人を超えられない、などと言う私の理由には、全く当てはまらないほどの人なのだから。
 さて、掲示板での名前。思い付いた名前とは、道元禅師の「どうげん」だった。アルファベットでの表現と言う事と、「どうげん」をそのまま使うのでは気が引けるので、私は「DOOGEN」(どーげん)として参加する。

 いくつかの話しの中へ参加させていただく。参加していると、それまでの気が引けていた自分では想像がつかないくらいに楽しいものとなる。パソコンに表示されるどこかの誰かからの文字。見ず知らずの人達なのだが、猫の事を真剣に話せる唯一の場所である事に気が付く。私が参加した時、コロはあまり歩かなくなっていた。そんなコロへの励まし、歩く事へのアイデアや、体調がすぐれず食欲がまったくないコロを心配していただいたりと、その存在は大きな物へとなっていく。
 インターネット、そのすごさに気がつきだしたのは、その頃だった。それまで、コロの事を知っているのは、私の友人や親戚、近所の猫好きな方など、私を通しての知り合いばかりだった。しかし今は違う、匿名の私をさて置き、実名のコロは、みんなにその存在を知られていく。東京はもちろん、北海道から九州、沖縄と日本の各地に住んでいる方々、さらに海を越えて海外にまで。驚きだった。
 そんな時、字数制限のある掲示板では、本当のコロを伝えられないのでは、と言う疑問が発生する。生後まもないコロ、転落した時のコロ、歩けないコロ、実際に見ていただくのが早いのだが、テレビでもない限り、全ての方にお見せする事も出来ない。よし、ホームページをつくろう。

ペロペロ
 それからは早かった、詳しい友人にホームページのソフトを教わり、何度もつまづきながら進んでいく。気力だけで突き進んだ2週間、いつ容体が変わるかも知れないコロ、ゆっくりしてはいられない、ただその気持ちだけだった。そしてそれは完成した「わたしのたからもの」。たからもの、と呼ぶのは少々忍びないのだが、でもその表現が一番ぴったりだと思っている。コロをはじめ、ここで紹介するすべてが、わたしのたからものだけの宝石箱なのだから。
 開設の日、恐る恐るみなさんへのお知らせ、結構緊張するものである。しかし、その反響は私の想像を超えていた、遥かに越えていた。同時に嬉しさがこみ上げてくる、本当のコロの事をみなさんに知っていただける嬉しさ。

 〜これからも、出来る限り紹介させていただこうと思っています。昔のコロ、今のコロ、できるだけたくさん。私がホームページをつくるきっかけになったみなさんと、ここに訪れていただいた方々に少しでもお役にたてるように、これからも〜


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