このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
風蓮湖は目指したいが、サドルが折れたので、どこかで直さねばならない。 別海本町に行けば確実に自転車屋はあるのだが、そこまで戻れば風蓮湖に行く余裕はなくなる。 直さないまま、立ち漕ぎで風蓮湖に向かうことも考えた。 しかし同じ町内と言えども、尾岱沼から風蓮湖までは30km以上離れている。 ちょっと現実的な距離ではないだろう(本町までも20kmくらいあるが)。 残念ながら風蓮湖は諦めざるをえないだろう。 …と思ったのだが。 尾岱沼の集落で直していただきましたよ。 自転車とバイクと水上バイクのお店で。 普通なら部品取換えのはずが、なんと折れた金具を溶接で直してしまうという素晴らしさ。 まさに職人技である。 「う〜ん、まぁ500円でいいや。」 「素晴らしい!!ありがとうございます!!」 というわけでサドルも無事に直り、尾岱沼に向けて出発。 国道244号線を南下。 オホーツク海と国後島を横目に見ながらの快適サイクリングになるはずだったのだが、北向きの強風。 足を休めれば瞬く間に止まってしまいそうな状況下、時速10kmくらいでノロノロと進んだ。 風蓮湖の砂洲の先までは30kmひたすら逆風か!! き…厳しい!!!! こんな良い景色の中も我々は風のせいで顔をしかめながら…。 あぁ、でも道行くライダーが手を振ってくれる。 浜辺で作業している漁師さんも応援してくれる。 見ろよ、空はあんなに青いじゃないか。 十勝の豪雨の苦しみに比べれば、この位は大した事ない。 ずっとハンドルを握っているせいで、腕だけがやたら日焼けしてきた。 まるで黒糖コッペパンのようだ。 11時22分、別海十景の茨散沼(バラサントウ)に寄ってみる。 国道から砂利道をちょっと1km程入ったところにあったのだが、虫が酷かった。 森の中の沼だけあって、刺す虫が大量発生しており、いくら防虫スプレーを身体にかけても効かなかった。 あまりの居心地の悪さを示しているのがこの沼の滞在時間。 30秒くらいだったと思う。 虫の少ない時期に再訪したいものだ。 茨散沼からさらに南下、12時16分、本別海の集落に到着した。 小売店があったので、昼食とアイスを購入する。 うーむ、上トマム以来のアイスだ。 やはり一日中自転車を漕いでいると、糖分が欲しくなる。 今回の旅でお世話になったのは明治製菓の ポイフル というグミである。 ここ、本別海は別海村発祥の地である。 明治時代、ここには開拓使別海役所が置かれ、ここが別海村の中心であったという。 現在の位置に役場が移ったのは昭和8年のことである。 本別海から道道風蓮湖公園線に入る。 この道道は汽水湖である風蓮湖の砂州を通り、走古丹という集落を目指す道だ。 ハマナスロードという愛称が与えられているように、路傍には綺麗な花が咲き乱れている(写真では分かりにくいが)。 同じ砂州である野付半島の道は両側に海が見えるのだが、こちらは片方、オホーツク海しか見えない。 ちょっぴり残念。 景色も天気も気温も申し分ないのだが、やはり風がきつい。 車が皆無なのを良いことに、ふらふらと進んでいく。 これだけ逆風が強いのだから、帰りの追い風は素晴らしいはずだ。 12時59分、砂州の半ばにある走古丹集落に到着。 想像以上に人口が多そうだ。 最近までは小学校もあった集落らしい。 道道は風蓮湖にぶつかったところで終点を迎える。 風蓮湖もまた別海十景に選ばれている(隣接する根室十景にも選ばれている)。 面積は57.7k㎡で道内では6番目の広さを誇る。 この場所は走古丹漁港。 風蓮湖漁業の中心となっている漁港だ。 風蓮湖の穏やかな水面。 この平和な湖も冬になれば、真っ白に凍結する。 冬でも氷に穴を開け、過酷な漁が行われているという。 風蓮湖では主にニシンとシジミ、チカが獲れるらしい。 道道風蓮湖公園線の起点にある巨大ヘキサ。 通常サイズの3倍はあるだろうか・・・。 うーむ…でかい。 何故このような変種が生まれたのかは定かではない。 どなたか教えてください。 |
道道風蓮湖公園線を戻り、国道244号線、町道を使い別海本町の方へ。 逆風から開放され、ペースも上がる。 丘陵地を行くため、アップダウンが多いが、ドンと来いだ。 空を見上げる。 雨を呼ぶ雲、そして別海との別れが無情にも近づいてくる。 あぁ、別海では降らないでおくれ。 最後に寄っておきたい場所があった。 別海十景の一つ、新酪農村展望台である。 雫を落とし始めた空の下、無機質な鉄やぐらが静かに立っている。 我々はやぐらの下に自転車を止めると、鉄の階段を上り始めた。 新酪農村の風景。 眼下に広がる緑の絨毯は、戦後国家プロジェクトに則り開拓された大酪農地帯である。 未開の原野に夢を見て、多くの鍬が振り下ろされたのは昔の話。 現在では経営難から離農する酪農家も少なくない。 見下ろす景色の全てを眼中に収めることは我々にはできない。 やぐらを包む雨と共に、静かに別れの時は近づいてくる。 16時58分、別海本町に戻り、セイコーマートへ。 夜行バスの出発時間の21時50分まではまだまだ時間がある。 夕食を買い、風呂に行く。 それでも時間が余っていたので、交流館の隣にあるマルチメディア館へ。 誰でも無料でインターネットができるということなので、別海での最後の時間をネットサーフィンに費やした。 ちなみにここのマルチメディア館は牛乳が飲み放題。 最後の最後まで別海のグレードの高さを感じていたのである。 この後、我々は定刻通りやってきた夜行バスの乗客となり、静かに別海町を後にした。 カーテンの隙間から暗闇を伺っていたのだが、いつ別海を出たかは 分からなかった。 気づけば隣町の中標津の灯りの中を走っていたのである。 札幌駅前で降り立ち、自転車を組み立て、朝の冷たい空気の中を走りながら、私は深い満足感に浸っていた。 またこんな旅がしたい。 あの時はそんなことは露ほども考えていなかったが、また旅の虫が疼きだしている今日この頃である。 |
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