このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
※地図上の⑤の地点 バードラインの現役区間はここまで。 一般のドライバーならば、ここまで来たら巨大な緑の蝶の看板に導かれて右折。 かつての城跡へと登っていく。 私は緑の食い尽くされんばかりの道に誘われて直進。 頑丈なゲートを乗り越えてゆく。 ゲートを乗り越え、着地した瞬間の地面と言うものは、同じアスファルトなのだが、何だか異質なもののように感じる。 何と言うか、フワフワとして落ち着かないというか。 単に浮き足立っているのか、或いはこの後ろめたさのせいかのか。 この道はかつては2車線確保されていた立派な観光道路である。 廃道歴20年経った現在、両側から植物の侵食を受け、1車線へと成り下がっている。 しかし、ゲートから近いこともあって、それ以外に廃道を感じさせる物はない。 コンクリート法面の色あせ具合が良い味を出している。 この法面とガードレールから察することができるが、現役時代においても、道幅は2車線ギリギリであったのではないだろうか。 法面の圧迫感の手伝って、非常に窮屈に感じる道である。 観光道路とは言え、開通した時代、地形的制約を考えれば仕方ないのかもしれない。 ※地図上の⑥の地点 ここでバードラインは大きく方向を変える。 大峰山(標高828m)の北側斜面から東側斜面へと回り込むのである。 東側斜面はそのまま地附山(標高733m)の西側斜面と繋がっている。 この先、この道は両山塊の間の鞍部を縦走するように、地附山の方へと抜ける。 東側斜面を南下するのは、比較的地形が穏やかな鞍部へと向かうためである。 ちなみに大峰山を挟んで逆側の南西斜面では、七曲が体躯をくねらせ、懸命に標高を上げている。 しばらくまとまった直線区間が続く。 こう見ると、やはり七曲を含む市道に比べ、格段に線形が良い。 そんなことを考えながら、ダラダラと歩いていると汗が滲み出した。 夏の廃道はやはり暑い。 路肩で、笹に食われそうになっている標識。 比較的保存状態が良く、お持ち帰りしたいくらいである。 背後には石垣が見える。 この道の法面にはコンクリートと吹きつけコンクリート、そしてこの石垣の三つが見られる。 歩きながら左手に視線をやると、木々の間に幾何学的な形の構造物が望める。 浅川の対岸、別ルートで飯綱を目指す浅川ループラインである。 災害によって命を絶たれたかつての観光道路は、現在多くの車を通している3代目を遠くから俯瞰している。 見えない所から孫を見守っているのだ。 近くで見た時、あれだけ巨大に見えたループ橋がとても小さく見えた。 ※地図上の⑦の地点 廃道区間唯一のヘアピンカーブが姿を現した。 このヘアピンによって、バードラインは鞍部の高さまで降りるのである。 この線形のためか、前後には「スリップ注意」などの標識が植物に埋もれて並んでいた。 ヘアピンによって180度向きを変えた道は、一旦北東へ進む。 しかしそれも、写真奥の右カーブまでの僅かな区間である。 ※地図上の⑧の地点 僅かに北東に進んだバードラインはすぐに東を向く。 いよいよ、大峰山の裾を離れ、地附山の山塊に取り付きにかかるのだ。 さて、その縦走区間とは…。 縦走っぽい!!!! 大峰山と地附山を繋ぐ、正にスカイラインだ。 地形が緩やか過ぎるうえに、松が道を覆わんばかりに伸びているため、景観は優れないが…。 ただ、松の木もこの道を彩る役者の一つなので悪くはない。 何より、一番窪んでいる部分を中心にして、緩やかに弧を描く直線道路が美しい。 現役時代に走ってみたかった。 地附山の山塊に取り付くと、道はそのままその北側斜面をなぞり始める。 写真のように道幅が広い箇所もある。 地附山は比較的なだらかであり、地形的制約が少ないことも影響しているだろう。 この辺りの斜面は簡易的な吹きつけコンクリートで固められている。 その法面を割って、松の木が生え始めている。 植物の力という物は凄まじいものだ。 この道の命を絶った土砂崩れは、急速な宅地造成による森林伐採が原因とされている。 その事実、そしてこの風景を見ると、山の守り神はやはり森なのだと痛感せざるをえない。 そして…、人間はあまりにも非力である。 ※地図上の⑨の地点 ここで砂利道が右に分岐する。 地附山の頂上付近に電波塔があるため、その管理道路なのだと思われる。 よく見ると、複数の轍が砂利道へと続いている。 ということは、ここまでの区間は電波塔管理のため、現在でも往来がある区間なのだ。 道理で廃道化が進んでいないと思った。 …ということはこの先の区間は…? どわ!!!! |
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