このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
※地図上の⑨の地点 今までの穏やかな顔を見せ続けた戸隠バードライン。 しかしそれは電波塔の管理のために現在も使われている、〝表の顔〟に過ぎなかったのだ。 これより先は物好きだけが踏み込む禁断の区域である。 さあ、植物で覆い隠されたその奥へ。 我が物顔で道路上に蔓延る植物たち。 管理という目から免れているためか、非常に活き活きとしている。 先程までは並木として道路の引き立て役だった松の木に至っては道路を塞いでいる始末だ。 植物の繁茂と言っても、道路がアスファルトであるからか、 偽小池 の時程は酷くない。 ただ、蜘蛛が元気に活動しており、進むためには奴らの糸を纏うことを余儀なくさせられる。 まぁ…蜘蛛の巣こそ廃道における最高のファッションなのだが…(意味不明)。 元気な植物や蜘蛛にも負けない趣ある石垣。 廃道としては幼年期であるが、このくらいの廃れぶりが一番美しい。 松の木と石垣の取り合わせなんか特に。 この時私は事前に見た地図と線形を見比べながら、ある構造物の出現を待っていた。 その構造物とは…。 |
※地図上の⑩の地点 謎の廃橋出現!!!! 確かに事前に見た 地図 にも載っていたが、本当にこんな物があるとは…。 廃橋の出現に、私のテンションは最高潮に達していた。 何なんだろう、この橋は。 切り通しを進むバードラインを跨ぐソレは、地図で見てもどこへ通ずるでもなく、ただそこに架かっている。 バードライン現役時からあったように思えるが…。 謎の橋と言えば 新川河口の廃橋 を紹介したが、それと同じくまったく得体が知れない。 まぁ、「橋の正体を知るためにはまず渡れ」という格言があるように(?)、まずは上に立たないと…。 私は橋の袂の斜面に取り付いた。 実際に橋の上へ。 ズルズル滑る、登りにくい斜面であった…。 さて、橋であるが、10mもない非常に短いものである。 1車線分の幅であり、そこそこ立派な欄干がある。 銘板のような物は存在しなかった。 歩いてきた方向(飯綱・戸隠方面)を眺める。 逆に、これから歩いていく方向(長野市街方面)。 橋の両端を見てみたが、完全に森に還っており、どこに続いているかは分からない。 というか、どこかへ続いているという気配すら感じられず、橋だけがただそこに存在しているようだ。 地附山にはかつてロープウェーや動物園、スキー場などが並ぶ、市民の憩いの場であったらしい。 これはその遺構の一部なのかもしれない。 何かご存知の方がいらっしゃればご一報くだされば嬉しいです。 |
廃橋を過ぎると、道は地附山の東側斜面へと回り込み、長野盆地を見下ろす位置を下る。 木々が茂っているため、視界は利かないが。 日光がよく当たるせいか、植物の勢いも一層激しくなる。 草を掻き分け、倒木を乗り越えて進む。 暑苦しいぜ。 廃道区間にも点在している大峰城チョウの博物館の看板。 現在では行く者も少ないが、当時はそれなりに賑わっていたのだろうか。 大峰城は川中島の合戦の際、上杉氏が築いた山城である。 そんななかなか興味深い歴史を持っているようであるが、何故にチョウの博物館にしたのだろうか…。 無機質な緑色の看板は、昭和40年代に日本列島を包んだリゾートブームの産物なのだろうか。 それにしては…中途半端なものである。 もうそろそろ末端だろう、というところで何かが路面を横切っている。 右側に何か見えるが…? 穴!? まぁ…何てことはない。 ただの水路隧道だ。 銘板によると3号排水トンネルだそう。 水路隧道を軽く流してしまったが、よくよく考えてみれば凄い。 人の目に触れることのない地中を、数kmにも及ぶ隧道が縦横無尽に走っているのだ。 ゾクゾクする。 非常に冒険心をくすぐられるが、探索は…どうだろう。 人が入る所ではない気がするなぁ。 水路隧道を後にし、末端を目指す。 幅広のカーブ。 ※地図上の⑪の地点 終わりは唐突に現れた。 黒く、割と新しいフェンスが冷たくこちらを睨んでおり、その向こうは既には道ではない。 植物茂る斜面が広がっている。 フェンスの向こうの光景。 目の前の藪をひたすら漕いで行けば、地附山公園に出られるのかもしれない。 しかし、ここはもう道ですらない。 道路を飲み込んだ自然そのものである。 私は植物と土砂に飲み込まれた道路の末端を目に焼きつけ、踵を返し、炎天下のアスファルトの上を歩き始めた。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |