このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
国道406号線は群馬県高崎市から長野県大町市に伸びるマイナーな国道だ。 ルートは次の通りだ。 高崎から榛名町など、群馬県の山中を通り、草津温泉の玄関口の長野原町へ。 そこから国道144号線と重複しつつ、浅間山の北を抜けてゆく。 鳥居峠を越えると、そこは長野県。 標高1000メートル程の菅平高原が広がっており、夏には合宿のため全国からラガーマンが集まってくる。 そこから406号線は一気に高度を下げ、長野盆地へ。 須坂市から千曲川を渡り、長野市に入る。 長野市からは裾花川の急流に沿って、上流へと進んでゆく。 鬼無里村(現長野市)から分水嶺を越えると、オリンピックで一躍有名になった白馬村である。 白馬からは国道148号線と重複しながら大町を目指す。 以上のようなルートだが、私は身近な存在にもかかわらず、それ程この国道を利用していない。 須坂の母方の実家を訪れるときはよく使うが、 あとはごくたまに菅平、群馬方面に行くときに使う程度だ。 白馬に行くこともあるが、その時は県道を利用する。 それはこの406号線の長野〜白馬間の道があまりに悪いからである。 1.5車線はまだマシで、時折一車線も登場する。 これは裾花川が作り上げた谷があまりに深く険しいため、いたし方のないことなのだ。 オリンピックの際、長野・白馬間の連絡道路を建設するにあたって、裾花川ルートが敬遠されたことも頷ける。 今回紹介するのはこの裾花川ルートのほんの一部。 長野市内の区間である。 |
善光寺白馬電鉄は名前のとおり善光寺平(長野盆地)と白馬を結ぶべくして建設された鉄道である。 目的は沿線の林産資源の開発と、観光の振興。 そんな善白鉄道は長野市側から建設が始まり、南長野−裾花口(長野市小鍋)間が完成した。 昭和17年のことである。 ここから白馬を目指すつもりだったのだが、時期が悪かった。 戦争が激化し、工事を中断せざるをえなかったのだ。 それから南長野−裾花口の間で細々と運行していた善白鉄道。 しかし、周辺人口はあまりに少なく、苦しい経営が続いた。 そして遂に、善白鉄道は政府から「廃止」が言い渡された。 軍事的にも不要、黒字も見込めないので、鉄橋やレールなどの鉄材を他の鉄道会社に譲れということであった。 廃止は昭和11年で南長野−善光寺温泉間が開通してからわずか7年で善白鉄道はその短い歴史に幕を閉じた。 ——以上『信州の鉄道物語』信濃毎日新聞社編 より 善白鉄道はその短命さ、廃止されてからの長い年月が災いして、とても知名度が低い。 地元民でも知らないものはかなり多いのではないか。 当然情報も少なかったわけだが、私は茂菅の集落近くに隧道が残されているという情報を得ている。 たったそれだけだが、当時の面影が垣間見れるのならば、行くしかない。 |
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