このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国道406号線旧道&善白鉄道の廃隧道



新道の橋から、茂菅の集落は近い。
さて、旧道の次は隧道だ。
というわけで、善白鉄道遺構探索編のはじまりはじまりぃ!!


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⑦ 茂菅

歩いてチャリの所まで戻った私は茂菅の集落を目指す。
ちなみに建設予定のトンネルは茂菅の集落をショートカットするものである。
実際に集落に着いてみるとトンネル建設の理由が痛い程分かる。
茂菅はこの辺りでは、そこそこの人口を抱え、保育園まである集落だが、道が狭い。
それに加え歩道は無いに等しいうえ、見通しの悪いカーブが多い。
その割に交通量は多く、大型車がかなりのスピードで走ってゆく。
こんなに狭い道ならスピードは出さないと思うだろうが、
こういった道に慣れている長野県のドライバーは結構とばす。
実際に死亡事故も起こっているという。
私も走行にはかなりの神経を使った。

ところで茂菅には善白鉄道の隧道が残されている。
国道沿いに立っている茂菅保育園の看板がある道を入っていく。
普通の集落道といった感じだが、急坂を下り、裾花川沿いに出た途端に舗装が途切れた。


未舗装道が集落の外れに向かって伸びている。
この道の奥に何かがあると私は予想していた。
茂菅の集落内に隧道がある。
そのことを思い出すだけで気持ちが高ぶる。

進む前にこの辺りの風景を眺めてみる。
流れは意外と穏やかな裾花川。
それが作り上げた急峻な谷。
見よ、あの高い崖を。
その崖を横切るガードレールが見えるが、あれは県道76号線のもので、このまま戸隠高原まで続いている。

チャリを漕ぎ出す。
路面は比較的固く、走りやすい。
この辺りに善白鉄道の線路があったのだ。
道の崖側を注意深く観察しながら進む。
しかし、猫の額程の畑があるだけで、一向にそれらしき遺構は見えてこない。
畑に潰されたか、そう思いながら走ってゆくと何やら工事関係者らしき人々。
何だろう。
トンネル建設にあたっての調査だろうか。
何となく気まずいが、黙って通り過ぎる。

しばらくすると道は林の中へ。
一体どこに連れていかれるのだろう。
遺構も見つからず不安になりかけたその時だった。




 
⑧ 隧道発見!!



あったー!!
隧道っ!!


来た来た来た来た来た!!


廃止以来、約60年間眠り続けてきた隧道が私の前にその雄姿を現したのだ!!
保存状態も比較的良い。
60年以上前ガソリンカーを通したトンネルがこんな元気な姿でいてくれたなんて…。




ん…?
待てよ。
ここに隧道があるということは私がチャリで走ってきた道こそが元善白鉄道の軌道だったというのか!?
そうなのか?隧道よ!!

感動のあまり札幌の友人に電話する。
そしてリアルタイムの叫びを伝える。

電話を切ったら侵入だ。
御覧のとおり入り口にはフェンスがあるが、網の部分には入って下さいと言わんばかりに穴が開いている。
入るしかない。

こんな事を書いている私だが、若干入るのを躊躇った。
罪悪感ではなく、素直に怖かったのだ。

懐中電灯を忘れたからでもある。
コウモリがいる可能性があったからでもある。
昔、ガソリンカーが通っていたからでもある。


※私の中で「ガソリン=炎上」というイメージがあり、
もしかして中でガソリンカーが燃えたんじゃないのかと、一人であらぬ想像をして怖がっていたのだ。



そして極めつけ………。






戦時中、この隧道が日本軍の弾薬庫として使われていたこと…。


弾薬庫!!


ひゃー。




 
⑨ 隧道内部


結局潜入してしまいました。
弾薬庫、いや隧道内部に。
金網の穴の外側には岩、内側にはドラム缶が置いてあり、それを足掛かりにして簡単に侵入できた。

内部にはゴミが散らかっている。
軽く見てみたが、弾薬庫関係の物はなかった。

善白鉄道は元々電化しようという計画があったためか、天井は異様に高い。
そして、廃止後60年も経っているにもかかわらず、天井剥離がほとんど見られない。
今でも善光寺白馬電鉄株式会社が管理しているのだろうか…。

入り口の光が小さくなるにつれて、やはり心細くなってくる。
それ程長いトンネルではないので、真っ暗闇になることもないのだが、自然と早足になる。

所々僅かな横穴(というかただの窪み)がある。
待避所の跡だろう。

徐々に出口がはっきりと見えてくる。
ふと、私はある異変に気づいた。
出口辺り、天井が低くなっている…。
何だろう…。

近づいてみて謎が解けた。
天井が低くなっていたのではなく、地面が上がっていたのだ。
つまりトンネル出口付近で土砂崩れがあり、土砂が隧道内に流れ込んでいたのだ。
土砂崩れの規模がもっと大きかったら、こちら側の光を拝むことはできなかっただろう。



固まった土砂の上を歩いて出口へと向かう。




 
⑩ 隧道西側坑門


日の光はやっぱり良い。
私は冬眠明けの熊のように隧道から這い出ると、背伸びした。
その後、来た道を振り返ってみる。
こちら側の坑門は随分傷んでいる。
土砂崩れの影響だろうか…。
こうやって、この隧道は自然に呑まれて行くことを考えると悲しくなった。

この先に進もうと考えたが、前を見ても軌道跡どころか地面すらなかったので、諦めた。
崩壊でもあったのだろうか…。
(この先を写した写真もあったはずだが、消えていた。申し訳ない…。)

あとで分かった事であるが、善白鉄道は茂菅のトンネルを抜けた後、橋で崖沿いを渡っていたらしい。
もしかすると、進んでいたら橋脚か何かを発見できたかもしれない。
今になって、情報不足だったことを激しく悔やんでいる。

チャリまで戻ることにしたが、迂回路などないので再び穴に潜り込み、今度は走って帰った。
やはり怖い。
隧道を出た私はチャリに跨り、軌道後を軽快に走り出した。




 
⑪ もう一つの隧道

このまま元来た軌道跡を辿り、集落道を通り、国道に出ようとした。
しかし私は気づいた。
軌道跡から左に折れ、登ってゆく集落道の脇にはまだ軌道跡が細々と伸びており、その奥に隧道がある事を!!
その隧道とはこいつのことだ!!


何か色々な物が置いてあって入れなかった。
物だけでなく、重機や人もいたから。
ここは外部だけの撮影に止めておこうと思う。

ちなみにこの隧道は茂菅保育園の真下を貫いている。
隧道の上で無邪気に遊ぶ園児が羨ましいぜ。




以上で茂菅集落内での探索は終了した。
次回、おまけみたいなもんだが、もうちょっと奥の旧道にアタック!!
それと、帰り道偶然発見した善白鉄道の遺構!!




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