⑥ 険しき道、そして出会い

標高760mの間山峠の切り通しに立った私。ここから350mの中野市間山まで下ってゆく。いくら登山道と言えども、下りはサドルに跨がれるだろうと私は向こう側の景色を眺めた。

中野市側の斜面はかなり急である。犇めき合う杉の木の合間からチラリと覗く中野市の街並は、遥か眼下に見えた。道は九十九に折れながら、ダラダラと麓を目指すのであろう。予想以上に遠いゴールにショックを受ける。↓しかもこんな道↓

高山村側よりも酷く荒れている!!!!写真では分かりにくいが、所々太い枝が落ち、路肩も無残に崩れているチャリに乗ったままでの突破は不可能であろう。乗って進んだが最期、激しい凹凸にハンドルを取られ、杉斜面へダイブする羽目になる。
私は渋々押しながら進んだ。自分は山側、チャリは谷側というポジションを保ったままただただ歩いた。
ギィ・・・・・・ギィ・・・・・・。
どこからともなく耳障りなBGMが流れ始めた。古い板張りの床を歩く時の、あの軋むような音・・・。私はすぐにソレが周りの木々から発せられているものであると察知した。急傾斜な土地に根を張る、細い細い杉の木が風でしなって揺れていた。周りの杉全てが、ギイギイとしなっており、非常に居心地の悪い空間であった。

この道を象徴するような光景。崩壊や侵食によって根付く土を失った杉が倒れ、道を塞いでいる。こんな光景が各所で見られ、私は頭を下げたり、チャリを持ち上げたりで、走行する余裕はまったくなかった。今軋みながら揺れている杉も、今年の冬には雪でなぎ倒され、この道を彩るデコレーションとなってしまうのだろうか。

目を背けたくなるような光景。何本もの杉、幹、枝、葉全てが見事に絡み合い、ビーバーの巣のような様相を呈している。私は枝を払いながら僅かな隙間を利用し、巧みにチャリと自らの体を通した。ここを抜けた先も所々抉れた、通行困難な道が続いていた。どうかこの先でUターンを余儀なくさせられるような箇所がないことを祈りながら進んだ。

ようやくチャリに跨がれそうな路面が現れた。私は嬉々として車輪を転がした。凹凸で跳ね、ヒヤッとする箇所もあったが、一定の速さで下っていった。ブレーキはかけっ放しでブレーキパッドの減りが気になったが、今はチャリに乗って進めることを喜んだ。
いくつかのヘアピンを曲がると、眼下に軽トラと人の姿が見えてきた。山菜採りのおじさんのようであった。ようやく車道に出たことを知った私は、満面の笑みを浮かべて最後の急坂を下った。そしてマウンテンバイクのまま、おじさんの目の前に飛び出した。
おじさんは目を丸くして「勇ましいな〜。」と感嘆の声を上げた。そして私に根掘り葉掘り質問をぶつけてきた。私は孤独の山越えをしてきた寂しさから、それに全て答えた。おじさんは徐にカメラを取り出すと、「折角だから写真撮るぞ」と言った。私は悪くない気分で、おじさんの軽トラの前に立って撮ってもらった。
※その写真は最近手紙と共に、私の元に届きました。
自分でも人が行かない場所ばかり行っていると自覚しているが、こんな出会いがあるとは夢にも思わなかった。
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