このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新川プロジェクト


多くのネタを我々に届けてくれた新川。
その探索ももうすぐ幕を閉じる。
あとはあの廃橋の正体を突き止めるだけである!!


 
⑭ 西へ向かう道


廃橋の延長上、細いダート路が西へ向かって伸びている。
確かに橋のスロープも下った後はその道へと続いている。
車道とは思えないくらいの頼りない道であるが、この橋と関係があるのは間違いない。
辿ってみれば橋の謎が解けるかも!!


スロープの脇を抜ける。
左手のモッサリ生えた草がソレである。
つまり本来道であるところは、今我々が立っている場所でなく、草むらである。


スロープの先は案外平凡な砂利道である。
しっかりとした轍があり、この道が以外利用されていることを知る。
おそらく釣人であろう。

道は傾斜はないものの、細かいカーブが多く、軌道跡とは考えにくい。
やはり車道なのだろうか……。

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500mほど進んだところで道は唐突に途切れる。
そこから続くのは浜辺の舗装路である。
どうやら探索は終了のようだ。

この道沿いでは、廃橋の情報を得ることはできなかった。
何のための橋か、何故途中で切れているのか、そして橋の名さえも分かっていない。
現地調査では、これ以上実りも望めないので、帰宅し机上調査をすることにした。



 
⑮ 机上調査

帰宅後、インターネットによる調査を開始した我々。
その中で、ちるどれんから有力な情報が飛び込んできた。
橋の名前とこの橋の往時の姿である。

橋の名は小樽内橋。
さらに、元々は木造の橋であったそうだ。
時を経て、コンクリート橋化したのだが、何故か半分だけであったそうだ。
つまり、現在切れて消失している部分だけは木造のままであったのだ。
理由は定かではないが、木造部分現役時の様子は こちらのサイト から御覧になれます。

橋の名と、往時の姿を知ることができた我々であるが、どこか釈然としなかった。
やはり、何故あの場所に橋があったのかが謎のままだからであろう。
インターネットによる調査を諦め、図書館で資料をあさる事にした。


大概の資料なら、何でも揃っている北大図書館。
20年くらい前の地形図も置いてあり、私も頻繁に利用している。
今回も地形図から読み取ろうと考えたが、ただの荒地しかなく、またもや正体がつかめなかった。


次は理学部の図書室である。
ここには論文を探すためにたまたま訪れたのであるが、思わぬ宝が眠っていた。
「北海道河川一覧」という資料である。

不鮮明な写真で申し訳ないが、これが「北海道河川一覧」に附属されている地図である。
ちょうど写真の中央より上部、赤い長方形で囲った地名があるが、
そこが小樽内という集落である。
現在ではすっかり廃村になってしまったが、地図には10戸程の人家が記されている。

そこから導かれる推論は次のとおりである。
もともと新川河口には小樽内という集落があり、僅かな住民が漁業や農業を生業として暮らしていた。
当時は存在しなかった国道337号線より海岸沿い、小樽側からのこの集落へのアクセス路があった。
その道の、当時この一帯で唯一の橋であったのが小樽内橋であったのだ。
あの辺りは現在に至るまで、かなりの僻地であったことから、この橋も随分重宝されたことだろう。
しかし交通の不便さから人は去ってゆき、橋はポツンと、ひどく浮いた形でそこに残された。
そして廃橋になった、これが我々なりの結論である。
この橋について何かお知りの方は、掲示板などにご一報よろしくお願いします。


後日訪れた小樽内集落跡である。
御覧のとおり、ただの草むらとなっており、何の痕跡も見出せなかった。
橋のすぐ袂にあるのだが、深い藪によって覆い隠されており、なかなか見つけづらい。
悲しいかな、新川という都市河川の河口は上流とは打って変わって、
集落、そこの住民が利用しる道、両者共に廃れてしまっている。


BBJ史上最多のネタ、そして最長のレポであった「新川プロジェクト」はこれにて終了とさせていただく。
今回の探索によって得たこと。
まだまだ地元も捨てたもんじゃないな、ということ。
当BBJは札幌近郊のネタもドンドン取り扱っていくつもりです。




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