このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

道道北檜山大成線
帆越山トンネル旧道


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④ 最後の覆道






7つの個性的な覆道たちを潜り、旧道は最後の覆道へのアプローチを始める。
小さな入り江を迂回する部分。
カーブの所の崖が崩れ、路盤を塞いでいる(写真中央)。

最後、第1覆道はこのカーブを曲がってしばらくの所にデンと構えている。






第1覆道は他の7つに比べて、延長が長い。
真新しい白壁の奥は、今までの覆道では感じられなかったような深い闇。
また、〝窓〟の位置も一際高く、中から海を臨むことはかなわない。

私とzwiebelは薄暗い回廊を、闇に向かって進んでいった。





〝窓〟がある部分は終わり、覆道はまるで隧道のような闇に包まれる。
初春の暖かさもここまでは届かないらしく、急にヒンヤリとしてくる。

フラッシュを焚いたら、闇に潜む猫の目のように、反射板が鋭く光った。
暗いな〜。





壁にはこのようなプレートが貼られていた。
どうやら現役時代には灯りがあったようだ。

プレートは「ここが帆越第1覆道であり、ここにあるランプが7つ目であり、35ワットのNX形であることを示している。
低圧ナトリウムランプ NX-35」というタイプのランプは、主にトンネルで使用され、まぁ優秀なランプだそうだ。
こちらのサイト を参照。






先程、ここから先は〝窓〟がないと述べたが、あった。
窓が何故かベニヤ板によって封鎖されている。
カーブであるが故、波の浸入は危険と判断したのであろうか。
ベニヤには海水が染みこみ、そのうち破れてしまいそうだ。





危険なカーブであるため、壁には即席の注意書きが…。
除行。

ん?


行・・・・・・!?




⑤ そして旧道は終わり…







第1覆道を抜けると、長かった旧道も終わりを迎える。
正確に言えば、廃道区間が終わり、旧道は現役道としてまだ続いている。






終わり。

集落が近いせいか、こちら側のゲートは強固である。
さて生きている道に戻ったところで、旧道の残りを紹介していこう。





磯の岩ごしに、太田集落が見える。
旧大成町と北檜山町の町界を成す、10km以上続く断崖地帯の只中にある、唯一の「人が住める土地」と言って間違いないだろう。
平地はほとんど無く、谷全体がなだらかな斜面になっている。
民家は全て、海に面した低地にあり、高台には小中学校があったらしいのだが、廃校になっているらしい。





左の方に視線を転じると、太田集落から尾花岬へと続く険しい断崖。
その下で、道道の未通区間の建設が進んでいることが分かる。
よく見ると、崖に突き刺さった覆道らしき物が見える。
尾花岬をパスする北成トンネルの入口であろうか。

※画像にカーソルを合わせると画像が拡大します。





旧道沿いにはちょっとした史跡もある。
1857年に建設された、北海道でも有数の古さを誇る灯台、定灯篭である。
残念ながらこれはレプリカだ。

それにしても、こんなに小さな灯りが灯台として昨日していたのだなぁ。
海霧で視界が悪いときなどは見えにくそうだ。





定灯篭を横目に、旧道はそのまま現道に突き当たる。
交差点付近には定灯篭に立ち寄るための物と思われる、駐車場と公衆トイレがあった。

「追分ソーランライン」という看板があったが、この道道が全通したら、この辺りにも観光客がやってくるようになるのかもしれない。






旧道の入口にあった道路標識。
なんか凄い…。
いや…、この「高波注意」の標識。
こんなに大迫力だったっけ…この標識。
ここだけのオリジナルかな?





旧道の探索が終わった後に待っているのは…そう!!
恒例になった現トンネル歩き。
うーむ…、これだけは全く楽しくないなぁ。

出口まであと900m、800m、700、600…。
カウントダウンが進むにつれて、我々のテンションもダウンしていくのであった。



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