このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
河原から、急な斜面を這い上がり、ついに旧線の路盤上に立った我々。 あとは足元の落ち葉の道を歩いていけば、目当てのアーチ橋と隧道に辿りつくことができる。 ススキと冬枯れした木々に遮られて、まだ見えないが確かにこの奥にあるのだ。 胸が高鳴る。 かつて二本のレールが横たわっていた道は、コブシ大の石が転がり、なかなか歩きにくい。 躓かぬよう、足元に注意を払いながら、前方に視線を転じると、小さな切り通し。 山側からは土砂が押し寄せ、U字になってしまっている。 崖に根を張る木々は精一杯斜めに枝を伸ばし、隧道を見せまいとしている。 河原から見た感じだと、この切り通しのすぐ向こうからアーチ橋があったような気がする。 遂に来た!!アーチ橋!! 崖側に身を乗り出して撮影したのだが、結構な高さである。 下から見るとあれだけ大きかったアーチが、足元の方で小さく弧を描いている。 大層重厚そうなアーチであったが、近くに立ってみると、随分薄いコンクリートで出来ていることが分かる。 コンクリートが不足していたのだろうか。 アーチ橋の上の路盤には巨大な穴がたくさん開いていた。 穴というよりも地面がゴッソリと抜け落ちているといった方が分かりやすい。 100年という月日は、この橋に数え切れない程の綻びを生んだのだろう。 そこから土砂が流出し、このような蟻地獄が出来たのだと思われる。 深さが結構あるので、落ちないように避けながら進む。 下から見ると よく分かるが、この橋はアーチ橋と小橋の部分に分かれている。 写真はその小橋の親柱の銘板だ。 名は『上渓橋』 、竣功は昭和8年11月のことである。 竣功年から判断すると、この橋は旧線廃止後、道路橋として架け替えられたものであろう。 このような銘板は恐らく道路特有のものだ。 その時、この路盤を鉄道跡だと考えていた我々の思考回路は、この銘板の出現によって迷宮化したのである。 帰宅後、 「鉄道廃線跡を歩くⅨ」 を読んでみれば、何てことはない、道路へ転換したに過ぎなかったのだ。 このキロポストもまた、謎を呼ぶ存在である。 「開発局」の表記が左から右の横書きであるため、旧線現役当時のものということはあり得ない。 そもそも管轄が開発局ではないだろう。 書かれた距離もまた謎だ。 4/96…。 この地点がどこからか4kmの地点…? 下金山駅から…? もしかすると、「96」は実は「9.6」であり、下金山駅と金山駅との距離を表わしているのかもしれないなぁ…。 …でも下金山—金山間は6.9km(新線)だしなぁ。 旧ルートでもそんなに距離は伸びまい…。 これに関しては全然分からない。 【追記】 この表記は、昔の道路測点表記で、起点から96km400mを表わしているそうです。 ここは国道237号線沿いだから、起点の旭川の距離でしょうか…。 現在の旭川—金山間の距離は84km。 うーむ…、どこからの距離だろう…。 国道38号が元々金山を経由していたとしたら、起点の滝川から96km位になりそうなのですが…。 情報を提供してくださった、どぼさん、ありがとうございます。 【再追記(080503】】 このキロポストに関して、YAMA様よりさらなる情報が寄せられました。 これは国道でも根室本線でもなく、空知川のキロポストということなのですが…。 確かに空知川が石狩川と別れる滝川市からここまでは、だいたい90km。 そして…よくよく考えてみると、この廃線跡にあってこのキロポストだけ新しすぎるのですよ。 これだけ現在も管理されているかのような浮きっぷりです。 成程、河川のキロポストとは盲点だった…。 上渓橋にはガードレールのような柵も設置されている。 これもまた、路盤廃線跡説に大きな疑問を投げかけたのは言うまでもない。 この写真だけを見ても、廃道跡にしか見えまい。 廃止後、道路として利用されたので、厳密に言えば廃道跡なのだが。 いよいよ橋を渡りきり、隧道と対面する。 その前に、振り返り、国道と現根室本線の方を眺めてみる。 当時の旧線からの車窓はこのような感じだったのだろうか。 現線は空知川との接触を最低限に、橋を連続させている。 そこを往来する者の中で、過去にこのような雄大な景色が拝めたことを知る者はほとんど居るまい。 |
金山トンネル!!!! 小さく迫り出した岩塊を貫いた小さな隧道であるが、それ以上に大きく感じる。 生きてきた長さ故のオーラなのであろうか。 役目を終え、前後の路盤が死しても、この隧道だけは未だに生きているように感じた。 さて、さらに接近。 この隧道の特異な点として、坑門が存在しないことだ。 また、隧道の枠となっている煉瓦が三巻きだけというのも気になる。 アーチ橋のコンクリートの薄さのことも考えると、やはり物資が不足していたのだろうか。 必要最低限という感があるが、貫通から100年経った今でも健在ということを考えると、強度は案外あるらしい。 隧道の暗闇の中から、金山側を見る。 隧道を抜けたその瞬間から、地面は斜めである。 傾いた大地にも、木がしっかりと根を張っており、弱々しくも、光に向かって伸びている。 隧道を塞がんとする番人のようであるが、長年死んだ隧道に寄り添ってきた生き証人である。 隧道を抜けた先は、絶望的な大崩壊。 崖の途中には落石避けが生えているが、すっかりひしゃげてしまっている。 かつて北海道の大動脈を担った路線の上には、無機質な色をした土が積もり、もはや〝生〟を寄せ付けない急斜面になってしまっている。 本当に「絶望」という言葉がよく似合う崩壊。 これ以上は進めまい。 金山側から見た金山トンネル。 こちらから見ると、半分近くを土砂で覆われ、悲惨な姿を晒している。 窒息しそうな隧道の叫びが聞こえてきそうだ。 我々は踵を返し、再びこの隧道をくぐり、国道に向けて歩き出すのであった。 帰りは崖を下るのは危険なので、藪に覆われた路盤を漕いで行く。 湿り気は少なく、また遠目で見たよりも疎密な藪なのでそれ程苦労せず進めた。 しかし…まぁ今日は藪漕ぎばかりだな。 廃線歩きは好きであるが、薮漕ぎは面白くない。 息苦しい藪を抜け、ようやく国道に帰還。 来た道を振り返る。 写真奥のススキの群落が旧線跡である。 旧線はそのまま国道を斜めに横切り、背後の根室本線に合流していたらしい。 国道から見た、新旧分岐点。 国道の盛り土に食われてしまった旧線跡が哀れである。 カーソルを画像に合わせるとラインが出ます。 |
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