このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
これには驚いた。 まさかこんな素掘隧道が二つも並んでいる光景が見られるとは…。 左が今くぐってきた大正の隧道、右が明治の隧道である。 旧旧道は石垣もしっかりしており、道路としての設備は整っている。 それに対して旧旧旧道は隧道の形から見ても、隧道を出てから路盤らしきものが存在しないことからも、どうやら徒歩道らしい。 幅は狭いが、天井は異常に高いのが印象的だ。 くぐろうとする我々を押し戻すかのように、海を渡る風がこの穴を吹き抜ける。 ぬぬぬ、風なんかには負けんぞ。 藪には負けるかもしれないけど。 隧道はやはり海水の浸入を防ぐためか、一段高く作られている。 先程のように登れないということはなく、楽々登る。 隧道というよりも自然地形といった印象の洞内。 しかし、これは当時陸の孤島であった、この周辺の住民が熱望し続けた末に完成した、れっきとした隧道なのである。 隧道の向こう側にはすぐ海が見えている。 天気が崩れると、たちまち波に洗われる危険な道だったのだろう。 やはり西側の坑口も高い位置にあった。 岩肌はゴツゴツしており、ホールドにも困らなかったので、あっさりと浜に下りることができた。 現役時代には梯子のような物が存在したのだろう。 なんと明治隧道は二つあった!! まぁ、確かに大正隧道と明治隧道の長さを考えてみると、この隧道の存在は予想できたわけであるが…。 恐らくこれは、最初に見た坑口下がオーバーハングした明治隧道の東側であろう。 ちなみに二つの隧道の間はただの浜で、道らしきものは存在しない。 現役当時から、住民は浜を歩いていたのだろう。 こちらの隧道はやや登りにくいが、僅かなホールドに頼って這い登る。 2本目の明治隧道。 1本目と同じく、荒々しい雰囲気。 壁面から、硬い岩を掘り進めた当時の住民の息遣いが聞こえてくるようだ。 隧道の西側出口はスッパリ切れ落ちている。 手前の海岸は最初に明治隧道を発見した浜。 湾奥に見える集落は来岸だ。 写真では伝わりにくいが、ここはなかなか高度感がある。 飛び降りるのも大変そうだったので、この旧旧旧道を戻って、先へ進むことにした。 |
旧旧道と旧旧旧道の分岐点、すなわち素掘隧道ツーショットのポイントまで戻った我々。 藪だらけの旧旧道を避け、海岸を行く。 旧道とその先に封鎖された隧道が見える。 幌内府隧道だ。 旧旧道は一旦旧道に飲み込まれ、幌内府隧道の手前で再び海側へ分岐する。 旧旧道の高さに戻り、旧道へのアプローチを図る。 あともう少しで藪のないアスファルトだ。 …と言っても既にずぶ濡れなので、藪漕ぎもそれ程苦ではなくなってきた。 久々のアスファルトを踏みしめ眺める武威隧道の東側坑口。 アプローチしにくい東側坑口は開口していても良さそうなものだが、残念ながら容赦のない開発局。 武威隧道を抜けた旧道は、緩やかなS字カーブを描きながら次の幌内府隧道へと吸い込まれていく。 こういった線形はアクセントになって良いのだがなぁ。 しかし、山側を見ると威圧感たっぷりの大断崖。 グリーンの巨大なネットが、ここが落石多発地帯であることを物語っている。 また、海にもびったりと沿っており、現役時代にはある程度危険な道であったのだろう。 振り返るとこんな光景が見られる。 大正隧道と明治隧道のツーショット。 ドライブをしていて、こんな光景を見たら、間違いなく探索するだろうなぁ。 というわけで、この旧道が現役であった頃は、大正・明治隧道は結構手垢の付いた物件であったのかもしれない。 そうでもないか…。 快適なアスファルトを歩き、幌内府隧道に着いた。 残念ながらアスファルトはここで終わり。 藪に逆戻りじゃー!!!! 幌内府隧道の脇からヒョロリと伸びる旧旧道。 行きたくないが行かねばならぬ。 招かれざる客2名様入りまーす。 もうどうにでもなれ、という気持ちで藪を掻き分けてゆくと…。 あったぁぁぁぁ!!!! |
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