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小串鉱山
毛無隧道 序章


 






小串鉱山
長野県北部に住んでいるならば、名前くらい聞いたことがある方も多いかもしれない。
群馬県嬬恋村の山中に位置し、昭和4年に創業し、昭和46年の閉山まで硫黄を生産し続けた鉱山である。
群馬県側にありながら、硫黄や生活物資を運搬するための交通は、むしろ長野県側と結びつきが強かった。
そのため、従業員も長野側の麓に位置する、現在の須坂市や高山村出身の者が多かったそうだ。







小串鉱山の最大の特徴は、その立地にある。
長野と群馬の県境に聳える御飯岳の南東斜面、なんと標高1630m付近に位置する超高山都市であったのだ。
低緯度帯のアンデスならともかく、そこは冬になれば雪に閉ざされる上信越高原の真っ只中。
そんな厳しい場所に最大2000人もの人々が生活していたというのだから驚きである。

そんな小串であるが、創業当時は左の地図に書かれた県道大前須坂線は存在せず、高山村から樋沢川に沿って13kmもの獣道(地図上で茶色のラインで示した「徒歩道」がそれだと思われる)を踏破しなくてはならなかった。
小串から麓の高山村樋沢まで、鉄索(ロープウェイ)は続いていたのだが、それはあくまでも物資や硫黄の運搬用であり、人は乗ることができなかった。
住民の要望も高まり、県道万座線(現在の牧干俣線)から分岐し、毛無峠まで8kmの車道が建設されたのは昭和34年になってのことである。
この車道の完成により、険しい山道を歩かなくとも、須坂からバスを乗り継いで小串鉱山まで行けるようになった。

そんな陸の孤島の廃都市小串。
そこへ向かう機会に恵まれたのは2007年の夏のことであった。



① 国境の峠より



須坂にある母方の実家に来ていた私は「夕飯は6時からだから、それまでには帰って来い。」という条件付きで、毛無峠へと車を走らせていた。
与えられた猶予は2時間ほどしかない。
今日小串まで行くのは無理であろう。

高山村からミミズの足跡の如き山道をひたすら登り、大前須坂線と牧干俣線の分岐点までやってきた。
牧干俣線はこのまま万座温泉まで伸びる“上信スカイライン”という愛称を持つ観光道路だ。
毛無峠は右折なのだが、当然他の車はみな直進する。

ここの標高は1900m。
高山村から1200mも登ってきたことになる。





毛無峠は分岐点からは少し下った所にある。
交通量が皆無に近いためか、峠に近づくにつれて路面状況はどんどん悪くなってくる。
特に峠直前の断崖区間は、非常に緊張を強いられた。

また、今までは林の中を縫うように進んでいたのだが、峠に近づくと、樹木は一切なくなる。
逆に熊笹やら高原植物は非常に元気に生えている。
硫黄を含んだこの周辺の土壌が、このような植生を作り出しているのであろうか。





おぉぉぉぉ!!
峠に着いた瞬間に目につく5本の鉄塔。
先程も述べたが、小串鉱山と高山村を結ぶ鉄索跡である。
峠から続く、御飯岳の尾根を越えるために、狭い間隔で設置された支柱。
周囲の雰囲気も相まって、異様な光景である。

高山植物を踏まないように、支柱に近づいてみる。





小串鉱山へと続く鉄索。
その行き先は斜面を這い上がってくる雲に隠れて、なかなか見えない。

廃されてから30年以上も経ってるので、支柱は錆びて褐色化していた。
点検用の梯子も、手をかけたら砕けてしまいそうだ。





みっ見えた!!!!

雲の中から姿を現したのは、紛れもなく消えた鉱山都市、小串だ。
北海道の風景とも見まごうような雄大な景色の中、赤茶けた土を晒している。
これが私と小串鉱山の最初の出会いであった。
感動している私を尻目に、濃い雲はまた這い上がってきて、廃都市を覆い隠してしまった。





尾根の上から誰もいない毛無峠を俯瞰する。
標高1823m
日本でも有数の高所にある峠は、あまりにも静かである。
聞こえてくるのは、時々思い出したように吹く風の「ヒョーウ、ヒョーウ」という淋しげな音。
かつて、一攫千金を夢見て、猛者たちが行き交ったとは思えないほど悲しい光景だ。

そ…それにしても、小串方面へ下る道は…。
正気の沙汰じゃないな…。

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私が駐車した場所から、少し歩くと、県境にたどり着いた。
こんなにヘロヘロな道でも、県が変わったことを教えてくれるなんて、標識とは律儀なヤツである。
ひとしきり長野と群馬を行き来したみた後、今日の所は帰ることにした。
「ちょっと行ってくる」と言って、まさか群馬まで来ているとは思うまい。

群馬県に入って、もう一度斜面の下方を覗いてみたが、既に小串は霧の中であった。


峠にあった立札。
小串御地蔵堂参道は4km。
小串では昭和12年に山津波(土砂崩れ)が発生し、245名もの死者を出したそうだ。
被害者の方々を慰霊するお地蔵堂があると聞いたことがあるが、恐らくそれのことだろう。

アチャダンベの国境」という意味不明なことが書かれているが、これは両県の代表的な方言なのだそうだ。
アチャ」は長野の方言で「あのね」など、相手に問いかける時に使われる言葉(私は一度も聞いたことがない)。
ダンベ」は語尾に使われる「ダベ」で、北関東を中心に使われているらしい。





夕日が沈まんとしている長野県方面を望む。
目の前に広がるアルプス山脈のU字谷のような地形は、水流はまだ無いが、樋沢川の谷である。
毛細血管のように分岐する谷から水を集め、樋沢川となり高山村へ下り、そこから松川となり、須坂市で千曲(信濃)川に注ぐ。
そういえば、ここは信濃川水系と利根川水系の分水嶺だな。
凄い場所に立っているんだなぁ。

車に乗り込み、あっという間に麓に下った私は、夕飯に何とか間に合うことができた。
祖父がやたらと小串鉱山に詳しく、私の話に食いついてきた。

「そうか、毛無峠に行ったのか。」
「ということは…。」






「隧道もくぐってきたのか?」



へ?

隧道!?










ほ…本当だ…。

祖父が見せてくれた「米子・小串 鉱山歴史シンポジウム記録集」という冊子に載っている地形図には、確かに隧道が描かれている。
毛無峠の直下。
2つ前の写真のU字谷のどこかに坑口があるということではないか!?
残っていればだが…。




よし。
明日も毛無峠に行こう。


果たして毛無隧道は見つかるのであろうか!?
次回へ!!

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