このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
![]() 隧道の存在を知ってしまったからには、黙っていられない。 翌日、私は実家の自動車を運転し、再び高山村入りした。 祖父からもらった「鉱山歴史シンポジウム記録集」を持って。 高山村中心街のセブンイレブンで食料を買い込む。 目の前の道は県道大前須坂線。 これから写真の奥へと登っていく。 ちなみに小串鉱山から延びていた鉄索は、ここ高山村が終点で、そこから須坂駅までトラック輸送をしていたそうだ。 終点の樋沢はここよりももう少し上流にある。 ![]() 麓では二車線の生活道路であった大前須坂線も、山に入ると一気に険道の様相を呈してくる。 離合には差し支えない程度の広さを保ってはいるが、急カーブ・急勾配で登ってゆく。 この調子で標高1900mのピークまで一気に登り詰めるのである。 この辺りは、上信スカイラインを通って万座に抜ける人がいるためか、案外交通量が多い。 ![]() 途中にはこのような凄まじいヘアピンもある。 ここのヘアピンには、一本松カーブという名が与えられている。 これから進むべき道の勾配の凄まじきこと…。 この地点で標高は1700mを超えている。 下界は晴れていたが、ここは既にガスの中だ。 上昇し続ける雲と共にどんどん登り詰めてゆく。 ![]() 上信スカイラインから分岐して、しばらくすると毛無峠が見えてくる。 写真中央付近の鞍部がそれだ。 毛無峠は御飯岳と破風岳の間に位置する。 徒歩道は樋沢川をただ遡上して峠を目指すのに対し、県道は尾根を登り、御飯岳の西側斜面をトラバースするようにして峠へとアプローチする。 ちなみに「オグシ」という地名は「ゴハン」と「ケナシ」が濁って出来たものらしい。 ![]() 毛無峠に到着し、広場に自動車を停める。 広場から先はダートである。 正面に見える特徴的な形の山は破風岳。 切り立った斜面が特徴だが、反対側はなだらかな高原になっており、牧場まである。 それはさておき、毛無隧道探しを始めよう。 まずは高山村側の坑口探索のために、徒歩道を見つけなければ…。 |
![]() 谷全体を見渡せるような高台に立ち、「シンポジウム記録集」の地図を見ながら、斜面を眺めると…。 あぁ、あったあった。 グリーンの斜面に、確かに刻まれたジグザグの道。 あれを下っていけば、隧道の坑口付近に出られるはずだ。 ※画像にカーソルを合わせると画像が変化します。 ![]() 目指す徒歩道は谷の右岸であるため、再び広場の方へ戻る。 正面に見えるのは、毛無峠のシンボルとも言うべき鉄索の支柱。 実はこの日は、私以外にももう一人峠に人がいた。 ラジコン飛行機を飛ばしているおじさんだったのだが、私の存在にまったく気付かない様子で、コントローラーを握っていた。 えぇっと、徒歩道徒歩道…は…。 ![]() コレか。 寝転がったら気持ち良さそうな高山植物の群落に引かれた真っ白なライン。 踏み跡というよりも、まるでそこだけ除草剤を撒いたようなラインだ。 その真っ白な道へと踏み入れた。 まぁ植物の盗掘なのではないので、文句は言われないであろう。 ![]() 実は小串鉱山だけではなく、毛無峠の長野県側でも鉱床(根石沢鉱床)が発見され、硫黄採掘が行われていた。 それにもかかわらず、現在このような植物群に恵まれているのは、毛無隧道のおかげであると言える。 毛無隧道の掘削の目的は、勿論冬季の人の通行も挙げられるが、一番の目的は根石沢鉱床の坑内水を群馬側に排水するためであった。 樋沢川の鉱毒汚染が問題視されたのである。 そういった目的のため、隧道は長野県側坑口が、群馬側よりも11m高い位置にある。 …しかし群馬側の鉱毒問題は無視だったのであろうか。 ![]() 河川の汚染だけではなく、長野県側は煙害も危惧したため、製錬場は群馬側にしか設置しなかった。 そのため、隧道は採れた鉱石の運搬にも使われた。 隧道内にはレールが敷かれ、その脇を人が通行したのだという。 無論、人道としての役割は特に冬季においては非常に重要なものであった。 写真のような雄大で美しいこの辺りの自然は、しばしば牙をむく。 雪崩だ。 ![]() 特に峠の前後は雪崩の巣であり、隧道の貫通は往来の安全性を飛躍的にアップさせた。 隧道貫通は昭和28年という古さ。 その時代に1300mもの長大隧道を掘ってしまったというのだから驚きだ。 周囲の地形と、鉄索の位置、また湯沢林道の位置から判断して、坑口はそろそろという感じなのだが…。 ![]() 最後の坂を下り切ると、芝が植えられた平場に出た。 目の前には砂防ダム(写真なくてごめんなさい)。 地図と照らし合わせてみても、この辺りに坑口があったと見て間違いない。 ![]() 小串鉱山緑化推進植樹事業。 確かにこの辺りだけ、周囲と植物相が明らかに違う。 また、広い平地があることから、ここで何かが行われていたことは確かである。 恐らくは根石沢鉱床、そして毛無隧道の坑口であろう。 人の手が入っている…、…嫌な予感がした。 ![]() 恐らく正面の斜面に隧道が口を開けていたことだろう。 念のため、藪の中を探してみたが、坑口らしきものは発見されなかった。 植樹事業か、それともそれより以前か…、埋められてしまったのであろう。 少し予想はしていたが、残念である。 私はしょんぼりと徒歩道を登り始めた。 次は小串側坑口だ。 |
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