このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
![]() みみずが這った跡のような道を下りきり、広くなった路肩に車を停め、砂利道に降り立った。 先程までいた高原植物の緑に覆われた大地とは一転、赤茶けた大地が広がっていた。 登別の地獄谷で見たことのあるような斜面。 ここが硫黄鉱山であった、何よりの証だろう。 先へとひょろひょろ延びる道を歩き始めた。 ![]() その道の脇に残る水槽。 排水処理用の水槽だろうか…? 背後の緑を刻むラインは、先程通ってきた県道大前須坂線である。 ![]() 道を折れて、林の中の道を入ると、御地蔵堂と慰霊碑がある。 毛無峠にあった看板に書かれた「小串御地蔵堂」とはここのことだろう。 私の先に県道を下っていったワゴンもここを訪れたらしい。 閉山から30年以上も経った今も訪れる人は絶えないようで、綺麗に清掃されていた。 ![]() 御地蔵堂の脇には植物に飲まれそうな廃墟があった。 その場では何の廃墟なのか判明しなかったが、帰って調べたところ、変電所だということが分かった。 小串鉱山で最も原型が残っている廃墟である。 ![]() 御地蔵堂から道へと舞い戻る。 するとそこには何もない荒野が広がっていた。 2000人もの人たちの営みがあったとは思えぬ程、荒涼とした大地。 「ひょーう、ひょーう」と鳴る風に吹かれていると、たまらなく淋しくなる。 もう少し先へと進んでみよう………。 …………ん? ![]() な・・・。 何ですか? あれは・・・。 ![]() 駆け出した私はさらなる発見をした。 小串と高山村を結ぶ索道の終着駅である。 交通が不便な小串において、この索道は硫黄だけでなく、生活物資の運搬にも役立っていた。 この駅は小串において、かなり重要な場所であったに違いない。 プラットホームに乗ったりしてから、私は斜面にある謎の遺構へ向かった。 ![]() 取り付いたらボロボロ崩れそうな斜面の中腹に、それは口を開けていた。 これは坑道跡であろうか。 入ってすぐの所で崩壊しているようだ。 中には入れないし、斜面がきつそうだったので、近づくのはやめておいた。 位置的に見ても、私が探している隧道はこの辺りではない。 ※カーソルを合わせると、画面が変わります。 ![]() 振り返ってみると朽ち果てたサッカーゴールが横たわっていた。 山の灯が煌々と燃えていた頃、ここでも楽しくボールを追う子供たちの姿が日常的に見られたのだ。 現在ここで目を閉じても、そんな光景は想像し難い。 ![]() 再び毛無峠の方を向いてみる。 ちょうどこの正面辺りに隧道があるはずなのだが…。 ![]() 目ぼしい斜面を睨みながら歩を進めていた私の足が急に止まった。 こ…これは…? 奥に暗闇のような物が見えるが…。 私はすぐにガサガサと藪を掻き分け、その闇に歩み寄った。 ![]() これか!? シンポジウムの資料の地図によると、位置的には当たっている。 しかし…これは隧道というよりも坑道といった趣きであるが…。 このビジュアルを見て、これが毛無隧道なのか私は自信が持てなかった。 そこで参考にしたいのが、「小串鉱山史」の一節である。 軟岩中は本枠組支柱、硬岩中は浮石落し掘て放し ![]() この木材が本枠組支柱なのだろう。 残念ながら、内部は完全に崩れており、侵入することはできなかった。 排水や硫黄の運搬にも使われており、純粋な人道用隧道ではなかったせいか、現役の頃でも通行を戸惑いそうな隧道である。 それにしても深い闇だ。 塞がれてから数年間誰からも触れられることがなかった闇だ。 ![]() 振り返ってみる。 ここから砂利道までの間、藪に埋もれるように木材が飛び出している。 これは私の予想でしかないのだが、これらの木材もまた、隧道の支柱だったのではないだろうか。 実は、もともと隧道は砂利道の所まで延びていて、それが近年になって崩れた…と、そうは考えられないだろうか。 ![]() 砂利道に戻って、隧道を振り返ってみる。 ここからだと、藪や土砂に埋もれてしまっていて、隧道があったことなど全く分からない。 目印はあの排水用のものと思われる水槽である。 ※カーソルを合わせると、画像が変化します。 ![]() 隧道を発見し、帰路につく。 あまりにも隧道が原型を留めていなかったため、県道中心のレポートになってしまった気がする…。 しかし隧道の存在のことは半ば諦めていたし、この県道が面白かったので良しとするか。 高山植物の斜面をジグザグに切り取る県道。 圧倒されるような大自然の中にあって、非常に存在感がある道だ。 ![]() 毛無峠を越え、御飯岳の山腹を走る。 本来通行止の群馬県側と違って、こちらは普通に走ることが出来るわけだが…。 現役県道とは思えぬ程、デンジャラスな路肩である。 こんなショボショボした道でも、小串の民が長年熱望し続けた道である。 この後、私は上信スカイラインで万座へ抜け、志賀草津道路を越えて長野へ帰った。 なかなか良いドライブルートが見つかったな。 |
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