このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
午前1時。 賑やかな時間は過ぎ、我々は帰るべき宿に戻らねばならない。 狭い入口の前、少し躊躇しながらもそのヒンヤリとした洞内に体を滑り込ませた。 露出した顔面は寒かったものの、体は程よく火照っており、案外楽に夜を越せると思われた。 やはり5人では窮屈で、足の踏み場もないくらい。 写真撮影など呑気なことをやって、最後に入った私は一番入口側。 やや隙間風吹き込む一画に毛布を敷き、その上に使えない寝袋を置く。 そしてハムのような外観の最強コートを着込み、さらに口の周りにタオルを巻き、就寝準備は完了だ。 ちなみにN本氏は−10℃まで耐えられる本格派寝袋。 それに対して源造氏は寝袋を持っていないので、毛布だけである。 それぞれ寒さを楽観視しながら、夜は始まった。 ここからは写真がないので、私の下手な絵でお送りするのだが、ご勘弁を。 この絵が示したいことは、うるさくてなかなか寝付けなかったことである。 どうやらこんなに早く床に就いたのは我々だけらしく、他のテスターは例の交流広場で宴会を続けていた。 参加したいという気持ちもあったが、如何せん重装備を解くのが面倒なのでそのまま眠ることにした。 寒さは全く来なかったのだが、宴会の声が気になり、眠りにつくまではしばらくかかった。 ようやく眠りにつくことができた。 残念ながら見た夢などは覚えていない。 別に聞きたくないと思うが……。 寒ッ!!!! 足の方に猛烈な寒さを感じて、私はカッと目を覚ました。 眠る前の余裕は何処へやら、身がよじれるほどの(?)寒さである。 やはり夏用寝袋では役不足であったのだろうか…。 私は命取りとなり兼ねないこの寝袋に見切りをつけ、毛布にくるまって眠ることにした。 すなはち、寝袋は敷物へのランクダウンである。 効果があったのか、私は再びウトウトし始めた。 結局私は4時から起床時間の7時まで、転寝と目覚めを何回も繰り返した。 徐々に気温も上がり始めているようではあるが、身を切るような寒さは相変わらずで、私は胎児のようにうずくまって時が過ぎるのを待った。 途中、源造氏とマッチョ氏が「さみぃ…。」と呻きながら起き上がったのが見えた。 N本氏はグッスリと寝入っている。 私は時々携帯電話の電源をつけては、時間を確認した。 5時半、6時、6時半…。 時間は朝へと近づいていった。 |
おはようございます。 眠い目をこすりバルーンハウスから這い出ると、テスターたちが皆同じ方向を目指して走っている。 行き先は命の火。 正に風前の灯となった火を名残惜しむかのように、テスターたちが取り囲んでいる。 命の火は最後の一時まで我々を暖めてくれる。 耐寒テストも、もう少しで終わってしまう。 耐寒テストを締めくくるのはラジオ体操。 なんと日本ラジオ体操協会の会長と共にラジオ体操ができる。 なんとも贅沢な瞬間。 少々喉が痛んだが、気持ちよく体の各部を伸ばし、解すことができた。 一晩を明かした者に認定証が渡される。 そうそう、これが欲しくて参加したのだ。 だから、我先にと列に並びたいところなのだが、我々は人数オーバーの者。 認定証の生産が間に合わないため、後日郵送されてくるらしい。 残念。 モデルルームの脇にある温度計。 只今の気温、−22℃。 おお〜これはこれは…。 −30℃の大台には届かなかったものの、なかなかの低温だ。 そういえば朝から鼻の中が凍ってパリパリした。 テスターたちはこれからバスに乗って、朝食会場へ向かう。 バス代も朝食代も、テスト参加費3500円に含まれているというのだからお得だ。 元とった挙句にカムバックがあるんじゃないか? ちょっと陸別町の財政が心配。 朝食会場は陸別町庁舎。 なんか素晴らしい待遇だな…。 いいのかな? なんか接待されている気分…。 会場は2階の広間。 朝食はバイキング。 うひょーいうひょーい!!!! もう最高である。 久々に牛乳(地元の牧場)や納豆を食べ、非常な健康的な朝となった。 朝食の後には風呂(これも無料)まである。 もう何から何まで……。 素晴らしい待遇によって骨抜きにされるメンバーたち。 風呂あがりの小上がりで話に花を咲かせるアパッチ氏&マッチョ氏、そして右隅で寝転がるN本氏。 しばしのんびりとした時が流れる。 参加して良かったな。 誰もがそう思っていた。 |
尾岱沼、トドワラ | ||
タコライス、利礼の丘 | ||
やはり寒い、サービスが良い町 | ||
ウニ丼、黄金岬 | ||
日露友好記念館、ボロ沼 |
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