このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

村山橋


長野県北部、県都長野市とその東の扇状地上に位置する須坂市。
その二つの都市を分かつ大河千曲川を跨いでいるのが村山橋である。
架橋は1926年、長さは814mで完成当時は県下一位であった。

今回このコーナーでこの橋を取り上げたのは、その構造があまりに珍しいからである。
私は生まれてこのかた、この橋を利用してきたので見慣れているが、このような橋は他に見たことがない。
では見ていただこう。


 

村山橋の長野市側である。
この橋はその古さから道幅が狭く、現在は新橋が完成している。
現在は旧橋を須坂方面の車道、新橋が長野方面の車道と歩道というように使い分けている。
いずれは上下線ともに新橋が完成する予定である。
一段高いところを渡っている新橋の陰に見える、薄緑色のトラス橋が大正生まれの旧村山橋である。


新橋から見た旧橋チラリズム。
ここから見ても、いたって普通の橋である。
何、もったいぶらずに早く見せろって?
では・・・・・・。
↓これが旧村山橋だ!!!!↓











鉄道と併用!!!!

なんとこの橋は国道406号線と長野電鉄が併用する橋だったのだ!!
この歴史の深さが滲み出ている鉄骨よりも目を奪われる、この特異な構造!!
幼少期、私は単独の鉄道橋の方が異世界のものに見えた。
幼き日の私にそんな恐ろしい刷り込みをしたのもこの橋である。

こんな構造になった背景には、長電の架橋経費の削減がある。
道路橋と併用することによる費用負担は、長野県が6割、長電が4割であった。
大正時代にこんな長大な橋を架けたのだから、この削減策も当然と言える。


橋の半分から須坂側はガーター橋になっている。
橋の両脇にある二本の柱が素敵だが、何なのだろう。
長電はこの先土手を下り、村山駅に至る。


この橋が渡っているのは信濃川ではなく千曲川である。
長野県民が親しみを込めて呼んでいるだけではない。
正式名称が千曲川なのだ!!!!


信濃川じゃなく千曲川!!!!
日本最長の信濃川の大部分は千曲川!!!!
長野県民としてこれだけは譲れない!!!!
千曲川万歳ぃぃ!!!!



最後ぶちまけちゃったね・・・・・・。


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