
村山橋の長野市側である。この橋はその古さから道幅が狭く、現在は新橋が完成している。現在は旧橋を須坂方面の車道、新橋が長野方面の車道と歩道というように使い分けている。いずれは上下線ともに新橋が完成する予定である。一段高いところを渡っている新橋の陰に見える、薄緑色のトラス橋が大正生まれの旧村山橋である。

新橋から見た旧橋チラリズム。ここから見ても、いたって普通の橋である。何、もったいぶらずに早く見せろって?では・・・・・・。↓これが旧村山橋だ!!!!↓

鉄道と併用!!!!
なんとこの橋は国道406号線と長野電鉄が併用する橋だったのだ!!この歴史の深さが滲み出ている鉄骨よりも目を奪われる、この特異な構造!!幼少期、私は単独の鉄道橋の方が異世界のものに見えた。幼き日の私にそんな恐ろしい刷り込みをしたのもこの橋である。
こんな構造になった背景には、長電の架橋経費の削減がある。道路橋と併用することによる費用負担は、長野県が6割、長電が4割であった。大正時代にこんな長大な橋を架けたのだから、この削減策も当然と言える。

橋の半分から須坂側はガーター橋になっている。橋の両脇にある二本の柱が素敵だが、何なのだろう。長電はこの先土手を下り、村山駅に至る。

この橋が渡っているのは信濃川ではなく千曲川である。長野県民が親しみを込めて呼んでいるだけではない。正式名称が千曲川なのだ!!!!

信濃川じゃなく千曲川!!!!日本最長の信濃川の大部分は千曲川!!!!長野県民としてこれだけは譲れない!!!!千曲川万歳ぃぃ!!!!
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