このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

雄武トンネル


20年程前、北海道内で相次いだ廃線ラッシュ。
オホーツク海岸の盲腸線、興浜北線、興浜南線もその大波に巻き込まれた。
両路線共に小さな漁業の町を結ぶだけのローカル線であったので、廃線は止むを得ないであろう。

昭和60年、50年の歴史に幕を下ろした両路線。
当初の計画では繋がる予定であり、実際に建設も進んでいたらしい。
しかし夢かなわず、北見枝幸〜雄武間に空白を残したまま、二つの盲腸線は消えた。


今回は南側の興浜南線の終点、雄武駅付近にこの未成線の遺構を発見したので紹介したい。


 
2005年の盛夏、オホーツク海をドライブしていた私、天空開発と zwiebel。
快適な晴天ドライブの途中、我々は道の駅「おうむ」に立ち寄ることにした。
この道の駅の目玉はなんと言っても展望台。
雄武町を見渡せるという場所に、我々はエレベーターで昇っていった。




これが展望台からの眺め。
手前には細々と民家が建ち並び、その奥には穏やかなオホーツク海が広がっている。
ところがそんな〝日常〟生活的な風景の中に、〝非日常〟、廃な物を見つけることができる。
民家の間の緑に埋もれるあの筒状の構造物は……間違いない。

廃トンネルである!!!!

この道の駅が雄武駅跡に造られたものであるから、ここよりも北にあるアレは……。
興浜線の未成区間のトンネルかっ!!!!
我々二人はハイテンションで下界に降りると、市街地を走り出した。
廃トンネルに近づくことはできるのか!?







雄武トンネル!!!!

素晴らしい!!

閑静な住宅街に突如として現われる異様な廃墟。
先程も述べたが、この遺構、日常の中にあって、完全に浮いている。

築堤や橋梁などはともかく、通常隧道遺構というものは山中など人が近づかない場所にある。
こんな街中にあるというのは極めて異例である。



民家と廃トンネルというシュールな組み合わせ。
あそこに住人は毎日トンネルに何を想い暮らしているのだろうか。
やはり、電柱やマンホールと何ら変わらぬ物として特に意識もせずに暮らしているのだろうか。

ちなみにこのトンネル、ガードが甘く、簡単に進入できそうだが、
10m程奥でコンクリートによって塞がれている。
間違っても住民の子どもが内部で遊んでいて、事故が発生することはなさそうである。





侵入する者を阻むかのようにぶら下がる蜂の巣。
小さくも恐ろしい門番である。
私は蜂には詳しくないが、スズメバチの巣だとしたら嫌なので、遠くから眺めるに止めた。
まあ目を凝らせば、このトンネルの命を絶ったコンクリの壁が見えているので、無理に侵入する必要もあるまい。
ひとしきり観察したのち、我々は車が置いてある道の駅に戻ることにした。




トンネルから道の駅、すなわち雄武駅跡までの未成線跡は歩道として整備されている。
正面の立派な建物が道の駅。
ニョキッと真っ直ぐそびえているのが例の展望台である。

もしもこの歩道にレールが敷かれ、ディーゼルカーが走る日が訪れていたとしたら、興浜南北線共に今でも健在であったのだろうか。
天北線、名寄本線、湧網線などのオホーツク海岸の路線も…あるいは残されていたのかもしれない。




道の駅駐車場の脇に建っている記念碑。
雄武と栄丘。
右側には「元稲布」という名が刻まれるはずであった。
ダルマの片目を書き込むことができなかった落選者の如く、当時の雄武町は悲しみに暮れていたに違いない。
しかし、その落選者がそうであるように、雄武町もまた新たなる道を歩み始めている。
私のイメージだが、雄武町はオホーツク沿岸でも特に元気な町である。
展望台からは、かつての栄光と共に現在の活気までもが見えた。



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