このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
非常に快適なあった日宗ゾーンは唐突に終焉を迎える。 逆光写真で非常に分かりにくいが、勲称別林道に突き当たるのである。 ずっと高規格を維持し続けてきた日宗ゾーンも、さすがに末端部分は細い砂利道。 林道と大差ない規格のまま途切れる。 恐らくこの道を使って国道242号線に向かう者などほとんどいないであろうが、一応道道であるので律儀に案内標識は設置してある。 標識が示すとおり、右折しても何も無い。 勲称別川の上流に向かうだけであり、特に登山家が目指すような山もない。 上流へ向かうのは、林業関係者、釣人、山菜採り、林道好きくらいであろう。 さて、肝心の未通区間であるが、なんとレンタカーに搭載されていたカーナビには堂々と表示されているではないか!! …ということは廃道のような状態で残っているのか!? 車から降りてみる。 勲称別林道の上流方面を望む。 よくしまった路面であり、比較的走りやすそうだ。 カーナビを信じるならば、問題の未通区間は左の林へ分け入っているはずであるが…。 うん、何も無い。 小利別ゾーンと日宗ゾーンの間の「道だけど草ボーボーじゃねぇか!!」というような状態ではなく、本当に「ただの森」である。 草も木も満遍なく生えており、道の気配など微塵も感じられない。 一応カーナビの誤差も考えて、周囲を探してみたが、踏み跡すら見つからなかった。 おのれ、騙したな?カーナビめ。 ただの森に突入しても仕方ないので、大人しく日宗ゾーンの探索を終了する。 次はラスト、苫務ゾーンである。 勲称別林道を川に沿って延々と下り、国道に出た私は、陸別町中心街へと向かった。 |
陸別町役場にて、単位が出る方の調査をした私は、再び単位の出ない調査に出発した(無論どちらの調査も大真面目ですよ)。 中心街から、道道502号線 斗満陸別停車場線を通り、苫務集落へ向かう。 陸別町内には「とまむ」と読む地名が二つあり、それぞれ漢字で「苫務」、「斗満」 と表記する。 元々、苫務、斗満の一帯はアイヌ語で「湿地、泥炭地」を意味する、「トマム」という名で呼ばれていた。 しかし、日本が蝦夷を支配し藩を置く際に、ちょうどトマムの辺りに国境が敷かれたのである。 分断された「トマム」地区、十勝国側に「斗満」、釧路国側に「苫務」という漢字がそれぞれあてがわれた。 町内に読み方の同じ地名が隣り合っているのには、そういった経緯があったのである。 さて、道道502号線と道道620号線の交差点にやってきた。 交差点を右折して、苫務ゾーンに入る。 こちらはごく平均的な道道といった趣だ。 交差点の標高は284m。 末端部分は500mを越すため、200m以上も登ることになる。 苫務ゾーン末端部の本苫務地区は、陸別町中心との高低差が300mもあり、日本一寒い町の中でも特にしばれる場所である。 実際に、私が初めてのしばれフェスティバルで−28℃を体感していた頃、苫務の方では−30℃を下回ったという。 道道は地図で見ても分かるとおり、ウネウネと大きくカーブしながら本苫務を目指す。 やはり交通量はほとんどない。 本苫務である。 自然環境が厳しいせいか、集落は成しておらず、僅かな農家が酪農を営んでいる。 広大な牧草地の中を道道は真っ直ぐ伸びている。 右を見ると、遥か遠くに陸別町の夜景が見渡せた。 昼に来ても、良いビューポイントなのかもしれない。 来た、幅員減少。 いよいよ行き止まりへの秒読みが始まったようだ。 そして舗装は剥がれた。 防風林に沿った寂しい道。 道道というか、実質的には農家専用道なのであろう。 終末の気配を感じながら、ノロノロと車を進める。 終点である。 手持ちの道路地図もカーナビも、この交差点が苫務ゾーンの末端であることを示している。 それでも防風林の谷間へと砂利道は真っ直ぐ続いているので、少し進んでみることにした。 呆気ない幕切れ。 末端のさらに末端も、すぐに終わった。 そこには広大な牧草地が広がっており、これ以上先がないことは明白であった。 きっとこの牧場の先まで丘陵地は続き、その先に勲称別川の谷があるのだろう。 私有地には入れないので、そのまま車をバックさせ、適当なところで転回し、私は夜の陸別市街へ向かった。 |
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