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 ステンショ物語 (その39)    汽車が走り出した明治の頃                 
                        駅はステーションがなまってくさ、ステンショていわれとった。

地下鉄と西鉄電車がバトンタッチ
 福岡地下鉄・西鉄宮地嶽線         

 姪浜駅出て室見川の下に潜り込んだ福岡の地下鉄が、地上に顔出すとこはここ貝塚駅だけしかなか。

 貝塚駅(かいづかえき)は、福岡市地下鉄
箱崎線の終点で、西鉄貝塚線(2009年3月までは宮地岳線ていうた)の始発駅。

 頭合わせでひっついとるケン、両方合わせたら島式ホーム1面4線の地上駅ていうことになる。

 
地下から地上へ出てきた地下鉄の先頭車両

 外側の1・4番線ば地下鉄箱崎線が使用して、内側の2・3番線ば西鉄貝塚線が使いよるバッテン、現在のところ地下鉄と西鉄は改札口が別々になっとって、線路も繋がっとらん。



 
貝塚駅の4番線ホーム。対面する右が1番線。


上・向かって右が2番ホーム。左が3番ホーム。共に西鉄貝塚線が使用。       
右・陸橋から見た貝塚駅の西鉄側ホーム。
  

 階段ば下りたら「あなた東へわしゃ西へ」ていうごと、地下鉄は右(南側)に、西鉄は左に(北側)にそれぞれ改札口がある。

 地下鉄にはタッチパネル式の自動券売機が設置されとって改札も自動改札バッテン、西鉄のほうはボタン式自動券売機で「紙のキップ」ば買うて、改札もまぁーだ駅員さんのおんなる人間改札やケン、ニモカも使われん。

 西鉄と地下鉄の乗り換え連絡やが、以前は運行間隔が全然違うとって待たないかんことの多かったけど、2007年4月からお互い3分程度で乗り換えられるごと改善されとる。

 出入口は東側と西側に2箇所ずつ、西に出ればバス停とタクシー乗り場があって、真ん前が以前は競輪場やった貝塚公園

 東に出たら、そこは九州大学農学部の貝塚門で、寂れたまま残っとる。


 上、地下鉄側のコンコース。左に券売機。
 下・西鉄側のコンコース。左が券売機で右にはパン屋さんがある。

 いまの貝塚線(かいづかせん)いうとは、東区の貝塚駅から新宮町の西鉄新宮駅までば走る西鉄の鉄道路線のことバッテン、2007年3月31日までは津屋崎駅まで走りよって、宮地岳線(みやじだけせん)ていいよった。

 
もともとこの線は大正13年(1924)に、博多湾鉄道汽船いうとが、新博多駅(後の千鳥橋)から和白間で開業したとが始まりやった。新博多の駅は都市高速千鳥橋JCTの下、いまの西鉄バス千鳥橋バス停付近にあった。

 開業当初は非電化やったケン、蒸気機関車が客車・貨車ば引っぱって走りよったていう。

 大正14年(1925) 和白から津屋崎へ延ばしていったとバッテン、昭和17年(1942) 西鉄に合併された。

 昭和29年(1954)西鉄は新博多〜貝塚の軌道幅ば、市内線と合わせるため(それまでは狭軌)広げて、市内線からも直通でけるごとした。そのころはこれが貝塚線て呼ばれとった。

 当時の駅は、循環線の千鳥橋から馬出三丁目(まいだしさんちょうめ・金平)〜浜松町(はままつちょう)〜箱崎浜(はこざきはま)〜網屋立筋(あみやたてすじ)〜箱崎松原(はこざきまつばら)〜九大中門(きゅうだいなかもん)〜貝塚(かいづか)やった。

 もっともこの区間は、昭和54年(1979)の市内線全廃のときいっしょに廃止され、いま一部の路線跡が馬出緑地などとして残っとる。右の写真はその路線跡の現在形。

 貝塚の駅は、昭和10年(1935) 箱崎松原〜名島間に農科裏信号所(九大農学部の裏やったケン)いうとば開設したとが始まりで、昭和25年(1950)これが西鉄多々良駅て昇格して開業しとる。
 昭和29年(1954)には駅前に福岡競輪場が開設されたことで競輪場前駅に改称。昭和37年(1962)こんどは福岡競輪場の廃止で、いまの貝塚駅ていうごとなったとタイ。

 昭和58年(1983) 地下鉄2号線の駅名ば決めようていうとき、仮称「貝塚公園駅」になっとったとバッテン、実際に決まったとは貝塚駅やった。

 昭和60年(1985)になると貝塚駅が津屋崎の方に160m移転した。これはなしかいうたら、地下鉄と一体の駅施設ば建設するためやった。

 
そして昭和61年(1986) 福岡市地下鉄2号線(箱崎線)の貝塚駅が開業した。
いま1日の平均乗車人数は、2007年で地下鉄が3,830人。西鉄が12,292人。

 
 人工島へ線路が延びていくかも知れん。

 将来、地下鉄との相互直通運転の計画がある。いま現在、直通運転に必要な車両ば作ったり、ホームば延ばしたりなどの工事は行われとらんバッテン、西鉄千早〜西鉄香椎間の高架工事は、地下鉄乗り入れば念頭に置いて行われとるケン、貝塚駅で線路ば繋ぎさえすれば、西鉄香椎駅までの直通運転は可能になってきとる。

 また、西鉄香椎駅 〜香椎花園前駅間に新しゅう駅ば作ってクサ、そっから人工島(アイランドシティ)とば結ぶ路線ば分岐させる計画もある。


ここで少うしばっかり貝塚線の歴史に触れる

上・ここらは馬出(まいだし)3丁目あたり。下・線路の跡が馬出緑地になっとる。

 福岡競輪場は昭和25年1950年開設され12年続いたとバッテン、昭和37年(1962)で廃止。現在は貝塚公園になっとる。ついでに、競艇場のほうはていうと、昭和28年(1953年)に始めて開催され、天神から10分でいける便利さでいまだに続いとる。

 この貝塚公園には福岡市でここだけでしか見られん蒸気機関車と寝台車が保存されとって子ども達に人気がある。
蒸気機関車は明治生まれのキューロクていう型で、昭和63年(1968)後藤寺機関区で引退して、昭和49年(1974)からここに保存されとった。吹きざらし保存やケン、腐食が激しゅうて見られんゴトなっとったとバッテン、今年(2009年)3月に整備されて、いまはピカピカしとる。写真の左は整備前。

上・地下から這い出して貝塚駅に進入する箱崎線の列車。
左上・昼間はよう使われとる1番線ホームの先頭から。

左・交通局貝塚駅のシンボルマークは「貝」に因んだ巻貝。

 出札・改札はどっちもホーム上にあるケン、外からは一旦階段ば上がって、地下鉄線ば股越し、また階段ば下りていかないかん。

 あがったりおりたり、ややこしか作りやケン、以前は年寄りが困りよったバッテン、最近エレベーターが全部の地下鉄駅にでけて楽にはなった。

 
西側から見た貝塚駅。

上・千鳥橋にある旧「新博多駅」跡はいま西鉄のバスターミナル。下・旧貝塚線の路線跡。(九大医学部の裏あたり)

上・この東側馬出4丁目。昔は大仏さんがあった。下・九大工学部の松原門。地下鉄の駅がある。

上・ササンカが咲いて気持ちの良か散歩道
下・九大農学部の裏当たり。貝塚はもう近い。


貝塚公園のキューロク

宮地岳線(みやじだけせん)は2007年4月1日に
西鉄新宮駅から津屋崎駅までの区間が廃止され、西鉄貝塚線に改称された。

上・廃止になる宮地岳線ば惜しまれて消えた。2007年3月
下・いまの西鉄貝塚線案内ボード。西鉄新宮までしかなか。

 貝塚駅ば出たら、西鉄貝塚線はすくに名島川橋梁ば渡る。この多々良川に架かる鉄橋が、大正12年(1922)竣工の名島川橋梁。A級近代土木遺産に推薦され、文化財にも指定されとるバッテン、なし、多々良川に架かっとって名島川橋梁かは分からん。上流に架かるJRの鉄橋が多々良川橋梁やケン、同じ名前ば避けたとやろう。


旧・貝塚線 路線跡散歩

場所・福岡県福岡市東区箱崎七丁目。天神から地下鉄箱崎線に乗れば終点。空港・博多駅からやったら筑前前原行きに乗って中洲川端で箱崎線に乗り換える。車やったら千鳥橋から国道3号線ば約3km北上。「東署入口」ば右折すると200mで突き当たった左側にある。             取材日 2007.3.28/2009.4.8/2009.12.29

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