4年後には走っとるかどうか分からん松浦鉄道
もともと松浦線の始まりは、明治31年(1898) 有田の陶器ば伊万里湾に運ぶため、伊万里鉄道いう会社が開業したとやった。
その後、国が買収して松浦半島にぐるっと線路ば延ばして行ったとタイ。松浦半島には炭坑がいっぱいあって、いくつかの私鉄が石炭ば運びよったとバッテン、国鉄がそればまとめる形で昭和20年やっと有田〜佐世保間ば国鉄松浦線として完成させた。
昭和62年(1987年) 国鉄が分割民営化されてJRが発足。翌年にはもうJR松浦線廃止が決定しとった。ここで第3セクター松浦鉄道開業ていう歴史になる。
開業以来、松浦鉄道は会長ば長崎県知事、副会長ば佐賀県知事、社長ば佐世保市長いうことで運営されてきた。
駅も32やったとば57に増やし、列車の本数も15分〜20分間隔に増やすなどして、2000年度までは黒字経営。
三セクの優等生て言われとった。
バッテン、沿線自治体の過疎化が進んたもんやケン、利用客は1996年の年間442万人をピークに減少。2001年以降はついに赤字経営になっとる。
長崎、佐賀両県と沿線自治体が「住民の足ば守るため」2006年度から8年間で23億円ば支援することに決定たとバッテン「支援するもんと支援されるもんがいっしょいうとはおかしかろうもん」いうことになって、いまは民間出身の社長になっとる。
支援が受けられる間はなんとか走れたにしても、沿線自治体の財政も厳しかケン、支援が切れる2014年以降の松浦鉄道はどうなるか分からん。テッチャンでもなんでもよかケン、どんどん来て乗ってつかぁさいや。
左・点線はトンネルで地図の左下が終点の佐世保駅になる。
下・国道35号線の鉄橋ば渡るMRの列車。
MRはMatsuura Raiwayの略称。
佐世保市の中心にある四ヶ町アーケードの、真ん中あたりから路地ば入ったところに、お世辞にもきれいとはいえん駅の入口がある。駅ていうより、通路ていうたほうがよかごと、まず狭かし汚ならしか。
これが松浦鉄道の佐世保中央駅。商店街にひっついとるケン、買い物客やら学生さんが利用しよる。
国鉄松浦線は昭和36年(1961)にでけとって、この駅は平成2年(1990)の開業ていうケン、三セクになったあとから乗客の便利さば考えて、窮屈さは承知の上で無理矢理に作ったていう感じ。
1日平均乗降人員は2006年度で783人ていう。
商店街から入って、居酒屋の角ば曲がると、路地の奥にスレート壁の駅があった。とても都心の駅とは思われん。
入口に小さな事務室兼窓口のあって9時から6時までは駅員さんのおんなるバッテン、それ以外の時間は無人。自動券売機やらトイレまで閉鎖される。
狭か階段ば上がってホームに出る。単式1面1線で左ば見たらホームの端にトンネルが口ば開けとる。ホームのトイメンはジャスコの壁。右はアーケードば跨ぐ陸橋ていう具合に、なんともせせこましか。陸橋のすぐ向こうにあるはずの中佐世保駅は、緩やかなカーブになっとることと、アーケードやらビルに隠れて全然見えん。
反対側にあるジャスコ佐世保店と佐世保共済病院からは、線路くぐって直通の連絡通路がある。
トンネルからすぐに駅やケン、列車が近づいたら接近放送があって列車が飛び出して来た。
中佐世保までのキップば150円で買うて、列車に乗ってみた。
駅ば発車したらすぐにアーケードは跨ぎ、またすぐに国道35号線ば鉄橋で渡る。渡り終わったかと思うたら、もう中佐世保駅に着いとった。
この間約30秒。発車してすぐ、振り返って中央駅、陸橋から下の国道35号線、車内ば2枚撮したら、もう降りないかんやった。
距離・200m
時間・30秒
左・中佐世保駅から渡ってきた国道35号線の鉄橋と、中央駅を振り返る。透き間から国道ば通る軽自動車が見えた。
右・佐々行きの列車は、物好きな駅長ひとり下ろして北佐世保駅へ発車していった。
市内にある松浦鉄道の駅は、佐世保〜佐世保中央〜中佐世保〜北佐世保と全部に佐世保がつく。
この中佐世保駅(なかさせぼえき)は、昭和36年(1961)に国鉄松浦線がでけたとき開業しとるケン古か。
もとは相対式2面2線ホームの地上駅やったげなバッテン、いまは単式1面1線ホームの高架駅になっとる。
無人駅で駅舎は無かけど待合室はある。客ば買いもんに便利か中央駅に盗られて、こっちの駅は乗降客が1日平均186人ゲナ。
合理化ばせないかん三セク松浦鉄道にしては、たったの200mしかない駅ば残しとくるとが解せん。「ごげな駅いらんちゃなかと」ていうてやりたか。
バッテン、駅長のごたる物好きテッチャンが、珍しかケンいうて佐世保まで来ることもあろうから、地域経済にほんのちいーったあ役に立っとるとかも知れんタイ。