武雄温泉駅は、武雄が佐賀県西部の主要都市で、武雄温泉もあるもんやケン、全列車が停車する。
いまはまぁだ佐世保線(在来線)だけの駅やが、九州新幹線西九州ルートの建設がきまったもんやケン、2008年から2022年度の完成ばめざして改装が進められ高架化された。
西九州ルートが開業したら新幹線の駅が併設される予定になっとる。
西九州ルートは鳥栖駅〜当駅間は在来線(長崎本線・佐世保線)ば活用し、当駅〜長崎駅間は新線ば建設する予定。
軌間可変電車いうたっちやなんのことかよう分からんバッテン、フリーゲージトレインていう新たらしか車両ば開発して軌道間隔(軌間・線路の巾)の違うふたつの線路ば、同じ列車で走ろうとしとるもんやケン、ややこしゅうて開発が遅れJRは苦しんどる。
もともと武雄温泉駅は明治28年(1895) 九州鉄道(初代)長崎線の武雄駅(たけおえき)として開業したとが始まりタイ。当初は終着駅やった。
ココで質問。「なし武雄ていうとか ? 」
昔は「塚崎・墓崎・柄崎(つかさき)」て呼ばれた土地やった。江戸期、長崎街道の宿場町として発展しとる。この市名は、御船山の麓に鎮座する武雄神社に由来しとるとゲナ。
そんならなし武雄神社か ?
「タケオ(武雄)」は、近くにある御船山ば「岳嶺(たけお)」て名付け、のち付近一帯ばこう呼ぶごとなったとする説と、武内宿禰が父の屋主忍男武雄心命(たけおごころのみこと)ば祀ったけんタイていう説。祟神天皇の御世に派遣された健緒組(たけおぐみ)による説などがあるていう。
明治30年(1897) 長崎線が早岐駅まで延びる。そして翌年には、鳥栖駅〜早岐駅〜長崎駅(現・浦上駅やった)間の長崎線が全通する。
あとは国鉄と運命ば共に、明治40年(1907) 九州鉄道が国有化され国鉄の駅に。明治42年(1909)路線の名称が変わって長崎本線の駅となる。昭和9年(1934)長崎本線が肥前鹿島駅経由に変更されたもんやケン、佐世保線の駅になる。昭和50年(1975)武雄温泉駅(たけおおんせんえき)に改称そして橋上駅になった。
ついでにいうと、JR九州で「温泉」と名がつく駅はここと「京町温泉」「霧島温泉」しかない。
昭和59年(1984) 電化が完了して、普通列車が全部電車になった。
→ 南口から入るとすぐ右手に駅事務所がある。のれんがかかっとって、いかにも温泉駅らしか。
← 橋上駅になった武雄温泉駅の北口。前ば走っとるとは、旧の国道34号線。
← 北口の正面。
↓ 北口のバス停。この先500mで右折すれば武雄温泉がある。
↑ 駅事務所の改札窓口には、温泉の入浴につかうオケが置いてあって、キップはこれに入れる。
←ロビーは広くて明るい。
→ 下りの普通列車が発車していった。ガラス越しに見えとるとは、特徴のある形の御船山。武雄のシンボル。
← 南口はロータリーから階段ば上がらないかん。長いスロープもある。
昭和62年(1987) 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる。
平成20年(2008) 高架にして2・3番のりばの島式1面2線が先行開業。1年後の2009年 に1番のりばホームも完成して完全な高架駅として開業した。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームがある高架駅で、エレベーター・エスカレーター(2・3番線ホームへの上り専用)が設置されとる。JRの直営駅やケン、みどりの窓口・自動券売機が設置され、構内の1階には観光案内所がある。
武雄市(たけおし)は、佐賀県の西部、佐賀市と長崎県佐世保市の中間に位置する町、町の中心には開湯以来1300年も経つ武雄温泉がある。そして、ここには日本銀行やら東京駅の設計ばした辰野金吾がデザインした楼門があって、国の重要文化財に指定されとる。
2006年3月に隣りの北方町・山内町と合併して新市制による武雄市となった。
2006年4月から2014年12月まで8年間市長ばした樋渡啓祐いう人が、我が勝手に思いきったことばやって、 古か田舎町に改革ばおこして全国に名ば売った。あんまりちやほやされて、のぼせ上がったとか2014年の佐賀県知事選挙に出て見事落選しなった。
→ 上りの普通列車には電車通学の生徒さんが大勢乗り込んで発車していった。
↓ 武雄楼門のイラストが見える駅の標識。次の駅は上りが無人の「高橋駅」下りが「永野駅」
↓→ 新幹線が来るとこっから新線が伸ばされる。
↑ 上りの特急「みどり」が入線してきた。
→ 改札ば入った一階のロビーも広か。
↑ 物好きな駅長が御船山に登って撮した武雄市の俯瞰写真。左寄りに高架駅になった武雄温泉駅が見える。