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3月16日


「釣りと環境を考える集いin信州」



3月13日(日)、諏訪湖の近く、下諏訪総合文化センターで
日釣振長野県支部主催「釣りと環境を考える集いin信州」を
拝聴してまいりました。
水産庁釣人専門官 桜井政和氏と筑波大学人間総合科 升秀夫氏を向かえ、
現在、釣り人が置かれている情勢や外来種に関する講演、ディスカッションが行われた。

まず、桜井氏による「釣りをめぐる情勢と釣人の対応方向」と題された内容の
講演が行われた。役人らしくちょっと固い内容であったが、
要点だけ記述すると、
「レジャーである釣りも社会の動向と無関係ではいられない」
「釣りが野生生物の利用という行為である以上
そこに起因する議論から逃れることはできない」

つまり、勝手気ままな釣人ではいかん!ということだ。
そもそも釣人は勝手気ままな人間が多いのだが、国土が狭く水産資源の少ない
内水面においては、いろいろな諸事情に対応していかなければならない。
現在の日本では、魚種によっては漁業よりも遊漁による捕獲の方が多いものもあるらしい。
だからこそ釣人専門官なるポストができたわけだ。
桜井氏自身、フライフィッシャーであるので、基本的には我々釣人の味方のはずだが、
一部の湖を除き、魚種認定されていないバスが水産庁の管轄であるのか疑問は残る。
講演の内容もバスについて突っ込んだものではなかった。




桜井氏はこうも言っていた。
「現状では釣人は信用がなく力もない」
釣りがレジャーとしてスポーツとして認知されていると思っているのは、
実は釣人側の思い込みなのかもしれない。
そう考えたくはないが、現実に SOLAS条約 やバス問題に対する
釣人の立場は弱いと言わざるを得ない。
「社会的に信用され、力を持つための取り組みを進める」
具体的にはマナーやルールを守り、地域振興などに貢献するといった
地道な努力が必要であるとのことであった。
そして、現在日本では地方分権が進んでおり、
各釣り場の問題を国が指導できるものではなく、現場レベルでの調整が必要であると言う。




続いて、筑波大学人間総合科 升秀夫氏による
「釣人の公衆衛生」と題する講演であったが、主な内容は以下のとおり。

日本は、はるか昔から様々な動植物を大陸から持ち込んでいる。
いつの時点から入ってきたものを外来種とするのか?
また、日本の環境は変化しており、稲作とともに大陸から移入され、
現在では固有種とされている動植物は変化に対応できない。
だからと言って農薬や除草剤を使わなければ、
農作物の生産性は十分の一になってしまう。
どう折り合いを付けていくかを考えていかなければならない。


エンジン船や飛行機が無い時代から、外来生物は入ってきているのだ。
人間の営みは、自然にインパクト与えずには成り立たない。
バス問題以前に、人間がこの先ずっと抱えていかなければならない
もっと大きな問題があるのだ。




最後にディスカッションが行われたのだが、
今回集まった200人を超える人々の中には、バスアングラーだけでなく
いろいろな立場の人が参加しており、興味深い話が聞けた。
いくつか御紹介したい。


地元長野県で、カジカの棲む川を取り戻そうと、
清掃や放流活動をしているおじいちゃんの意見。

「わたしは釣った魚は骨まで食べる。人間は魚や獣の命を奪って生きながらえている。
バス釣りをやる人は、スポーツとして魚をいたぶりって、
生き物や自然に対する感謝する気持ちががあるのだろうか?
子供たちが川遊びを楽しめる環境を取り戻したい思いで
多額の費用をかけて、せっかく放流してもバスに食べられたんじゃたまらん!
その辺を若い人たちはどう考えているのか、うかがいたい。」



これに対し、FB'S福原毅氏が答えた。

「たぶん心情的にはまったく同じです。僕らはバスが大事だと思っているし
水辺の環境も大事だと思っている。うまくコミュニケーションがはかれれば、
きっとお互いの道ができると信じている。
実際にはそんなにバクバク魚を食べているわけではないし、
お互いに理解を深めることが大事です。」



日本にもへらぶな釣りやタナゴ釣りなどゲームフィッシングは存在するし、
食べても食べなくても、死に物狂いの魚の引きを楽しんでいることには変わりない。
確かに魚を釣っても食べなくていい、殺さなくていいところが
バスフィッシングの手軽さなのかもしれないし、
魚に対する命の尊さみたいなものをあまり感じないかもしれない。
でも、フック飲まれて殺しちゃった時はバスアングラーも心が痛いよね。
とにかく、バス釣りしない人は、我々をこんな風に見てるということです。



さて、今回の「釣りと環境を考える集いin信州」には
WBS吉田幸二さんやルアマガ谷さんなど、バスフィッシングを守る立場方々が
多数来場していたのだが、反バスフィッシングであるところの
琵琶湖博物館 中井氏も単身来場していた。
後方の席で拝聴しておられたが、升氏に発言を求められ、以下のような話をされた。

「淡水魚は飛んだり歩いたり出来ないので、別の水域に移動することは出来ない。
人間が自然の枠組みを超えて移動させてしまうことが問題になっている。
稲作とともに大陸から入ってきた生物もいるが、何百年何千年と時が経つうち、
その水域のみで持続的な組み合わせが出来ている。
日本国内の淡水魚であっても、西日本のメダカを北日本に持っていくと、
同じメダカでも寒さに弱いメダカが混ざることによって
結果的に冬が越せず死滅してしまうかもしれない。
そういうこともあるんだということを知っておいてほしい。」

「私は原理主義者だと言われるが、自分ではそう思っていない。
なぜなら、私の価値観がすべてだとは思っていない。
桜井氏が言われたとおり、釣人は信用がない。
これは価値観のちがいによるもので、
リリースするのがバスフィッシングの常識かもしれないが
バス釣りをしない人たちの価値観では、なぜそれぐらいの協力すらしないのか?
と思われているかもしれない。
この常識、価値観の行き違いが
釣りを巡る人間がらみの揉め事の大きな部分を占めている。
なぜリリースせずにはいられないかを、きちんと説明する必要があるのではないか。
私の立場からすると、敵に塩を送ることになるのかもしれないが、
釣人はそういったことを考えていただきたい。」


筆者もバス釣りを始める前は、釣っても逃がしちゃう釣りに理解が出来なかった。
しかし、いつの間にかキャッチ&リリースが常識になり、
リリース禁止 = 釣り禁止 という思いになっている。
これからの釣人は、他の人たちの意見に耳を傾けるとともに、
自分たちの思いを説明できるようにならなければ、
いつまでたっても感情論から脱却できないのかもしれない。
そのためには、各自が自分が理想と考える自然環境やバスフィッシングのあり方を
真剣に思い描いてみることをやっておこう!
反バスフィッシング論者にやり込まれないためにもね!




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