このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

蔵での時間は 駿馬の如く通り過ぎた
それは、 石原けんじ大佐先生 から頂いた1本の電話より始まった。

けんじ大佐先生:「柳田さんには絶対行っておくべきって!!あぁん!?
           忙しいだぁ!?湯布院なんか行っちょるヒマなんて無い
           やン!!そんなことより都城に行きないよ!?」


あぁっ!!そんなご無体な・・・などと一瞬考えてしまったが、言われてみればその通りである。柳田酒造といえば、焼酎製造界において革命的な技術“イオン交換濾過”を全国的に普及した蔵元である。是非とも見ておかねばならない。それでも湯布院には行きたいものだから、湯布院行は3連休の前半で済ませてしまい、万全の体勢で蔵元見学に望むことにしたのだ。ただ、3月21日は春分の日ということで祝日である。通常ならばお休みであろうから、 柳田酒造さん には受け入れていただけるのか心配していたのだった。それがすんなりと、「良いですよ。」となってしまったので驚きなのだ。

その後はトントン拍子で運び、当日の朝、約束の時間に間に合うように妻と長男を連れて国道10号線の人となったのである。だが、年度末という時節柄。道路工事が至るところで行われている。そのことを全く考慮していなかった私たち家族は敗北者へと転落してしまう・・・。
結局、約束の時間より15分ほど遅刻してしまった。

都城市役所の界隈をそろりそろりと路地に入り込んだ辺りに“それ”らしい建物があった。それにしても、市街地の中心部に立地する蔵元である。あの霧島ですら、都城市からは少し郊外にはずれたところにあるが、この住宅の密集具合を見ると、初めての人は蔵の場所が分からないかもしれない。
柳田酒造合名会社』の看板が掛かっていることを確認し、駐車をしていると柳田正さんが出迎えてくださった。さっそく、「どうぞ!」と事務所へと案内される。そこで、自己紹介や世間話をした後、さっそく蔵の方を案内していただいた。・・・ガラガラガラと同社の主力製品“駒”の文字が入ったガラス戸を開ける。

戸を開けて最初に目に飛び込んできたのが天井の高い屋内に積み上げられた赤色のP箱の山である。“九州P箱”といわれるエメラルドグリーン色のプラ箱が見あたらないのが気になったが、これは瓶を確保するための方策によるものだという。焼酎ブームによってこんな所にまで影響が及んでいるのかと思ったのがこの“瓶”なのだ。全国的な焼酎ブーム→地元よりも圧倒的に大多数の出荷となる大消費地に空き瓶が集積→物流等種々の条件を整えやすい大メーカーに優先的に回収瓶が回されるらしいが、柳田さんでは別ルートを開拓し、清酒の消費地からP箱ごと大型トラックで引っ張ってくるそうだ。たかだか瓶を確保するだけでも非常に大きなコスト負担になるという。これは驚きであった。
次に、瓶詰め機を見せていただく。何だか長い機械であるが、奥の方から瓶詰め、栓締め、ラベル貼りまでのラインを2人で行えるそうだ。流れ作業的にこの行程を行うことが出来るので、作業効率はこの上なく高い。1日500本ほどの瓶詰めが可能とのこと。ただ、PBの様な小ロッドの製品では従来から使用している“貼りっこエース”が活躍することとなる。一つ一つの行程の説明を機械に触れながら説明していただいたが、仕組みはどうなっているのか分からないけれども、特殊用途の機械を観察するのは面白い。

で、濾過器。よく濾過がどうのこうのと焼酎を語る上で話題に上ってくる言葉であるのだが、実際にどのような器具を用いているのかなかなか見る機会はない。
これがその濾過器の土台部分である。後になってこれを御覧になった渡邊幸一朗専務が「なつかしいですねぇ〜。」と話しておいでだったが、相当に珍しい物らしい。

柳田さん曰く、「使っているのはうち位かも知れません。
この土台に“ひだ”付きの管を取り付け、このフィルターをかぶせる。

柳田さん:「このパンツは木綿製なんですが、今では作っている所が無くてですね。」

機能的に優れた古い機器を使い続ける事にとって共通の悩みと言える。

このパンツを“ひだ”付きの管にかぶせ、さらにドーム状のカバーをはめ込んで濾過器はやっと使用状態になる。

同蔵のレギュラー“駒”ではこのパンツ的フィルターを通した後、瓶詰め前に樹脂フィルターに通す。徹底した濾過が行われている事がおわかりいただけるが、蔵それぞれに焼酎についての考え方があって興味深い。
非常に特徴的であった蒸し〜製麹ラインである。上下段の2段構造となっており、上段の扉の中にドラム式の蒸し機が入っている。このように箱の中にドラムが入っているのは温度や排気の効率のためなのか・・・。理由は聞きそびれたが、ちょうどこの箱の底の中央部分に四角い穴が開いていて、下段と連結する形となっている。

下段では種付けが終わった麦に十分に菌をはぜ混ませる訳だが、底に暖房用の蒸機パイプが、壁面には自然対流で冷却を行う通風口が開けられていた。

柳田酒造ではちょうど“ 赤鹿毛 ”の造りが始まったところで、蔵の内部には轟音が響き渡っている。
柳田さんがドラムの操作をされている間、この上段で蔵の全景を眺めていた。素人ながらに思ったのだが、作業効率が考え抜かれた・・・とでも言った方がよいだろうか。それも納得で、柳田さんのお父上や叔父様が作業をしながら、どうやったら作業をしやすいかということを詰めて詰めて詰め抜いた結果が今の蔵の姿。柳田さんのお言葉を借りるとすれば『完成系』なのだそうだ。

なお、上記の瓶詰め機もそうだが、全てのラインが2人1組で作業を行うように配置されているそうだ。この2人であるが、お父上や叔父様が・・・という所に由来している。
柳田さんはストップウォッチを確認しながら、作業の合間を利用して各行程の説明をしてくださる。

これは蒸し〜製麹ラインのすぐ南側に並んだ2次もろみのタンク。翌日に蒸留を控えているそうだ。

この他、“駒”や“赤鹿毛”の原酒タンクを見せていただいたが、においをかいだだけでもその違いに驚いてしまった。
・・・どう言ったら良いであろうか。両者とも華やかな香りであるが、“赤鹿毛”の方がより鮮明に覚え、さらに長く鼻腔に残る・・・とでも“プロのんべぇチック”に言いたいと思います(爆)。
さぁて!柳田さんが取り出したるこの“わっぱ”は何か・・・ということなのですが、これで原酒表面に浮く“油”をすくい取るのですね。

これには、昔から“馬の尾”の毛が最良とされているそうで、目が非常に細かい事が分かる。この道具も相当古い物だそうだ。
ちなみに、訪問した私たちの為に本日分の作業を待っていてくれたとのこと(多謝)。

さっそく油をすくっていただいたのだが・・・。
何度か表面をさらっただけでこんなに油が取れるのだ。

う〜ん・・・。良いところを見せていただきましたわぁ!!
なお、現在店頭に並んでいる“赤鹿毛”の風味は初回の物と大きく異なるという。柳田さん自身の反省点と酒販店さんの意見を採り入れた結果なのだが、蒸留温度を80度付近にまで高めたことでより飲みごたえが増した焼酎となっているそうだ。これは楽しみである。

そうやって説明を受けているところに、渡邊酒造場渡邊幸一朗専務がひょっこり到着された。
上記“赤鹿毛”原酒のタンクをのぞき込みながら、柳田さん(右)の説明を受けられる幸一朗専務(左)。

この他、蔵で試験的に製造を行った樽物の焼酎も見せていただいた。南欧(スペイン、フランス)から輸入したシェリー樽、ブランデー樽で1年ほど貯蔵したものだというが、濃い褐色の液体である。香りも高い。

幸一郎専務:「このままじゃ、光量規制で出せないでっすね。」

・・・それほどのレベル。
そうして検定室を見せていただいているところに石原けんじ大佐が登場。

お土産のおはぎが入った袋をゴソゴソとさせながら、第一声はこうであった・・・。
けんじ大佐先生:「あの・・・、その・・・。これ・・・お土産です。・・・それにし
           ても、腹減りません?」

至極名言である。時計を見るともうすぐ12時だ。ちょうど麦も蒸し終わり、放冷の空き時間を利用して昼食となった。

・・・昼食は都城市内の“ごろん屋”という地鶏の店で摂った。表面は香ばしく、中はジューシーな地鶏はやはり旨い。大佐先生はビールを所望したしたげであったが、なんとかこらえきったようだ(すみません。画像がないとですよね。)。

結構長居をしてしまっただろうか。ちょうど麦の放冷も終わった頃合いということで、蔵に戻った。見学の再開である。
蔵の裏手にあった柳田酒造の水源である。

盆地や霧島に降り注いだ雨が長い年月をかけて地下浸透した清水をくみ上げて使用している。こんこんと湧き出る水を大佐先生とで飲ませていただいたが、非常にまろやかな口当たりだ。
これは柳田酒造の蒸留器。製造メーカーを表示するプレートに“駒”の名前が入れてあったことににっこりしてしまった。
そうやって私が蒸留器を撮影していた後では、放冷が終わった麦に柳田さんが“種麹”を振りかけられている。

麹を振りかけてはドラムを数度回転させて攪拌し、また麹を振りかける。麹の入った袋の音がする度に褐色の粒子が舞った。
我々は作業場のあちこちで足を止めて柳田さんの説明を聞いていたのだが、幸一朗専務がおられることもあって、蒸留器の構造などの専門的な内容へと話がシフトしていく。大佐などは「フムフム・・・。」とうなずかれており、要所要所で質問等を繰り出すのだが、私などは話についていくのがやっとで目を点にしていた。

そうやって、出荷用の段ボール箱を手にしながら、
渡邊幸一朗先生( 九酎産業大学 ・宮崎焼酎科教授)による『段ボール一つから始まるコスト削減講座』が開講されたのであるが、話にもはやついていけなくなった私と大佐先生は・・・、
片隅に置かれていた電柱看板のサンプルを片手に、こんな事をやって遊んでいました(爆)。
結果、我々は教授の逆鱗に触れ、試験を受けさせてもらえないまま単位取得ならず(爆)。本講座は柳田さんのみの合格となったのでした・・・。

そうやって男4人がワイワイやっている間、ほったらかしであった私の妻と長男の相手を柳田さんの奥様がしてくださっていた。特に離乳食が始まったばかりの長男は苺をもらって上機嫌。・・・ご迷惑をおかけして済みませんでした(深謝)。


・・・そうしてあっという間に時間は過ぎ、解散時間へ。柳田さんにおかれましては、帰り際に“駒”の前掛けを戴いてしまっただけでなく、休日にもかかわらず親切丁寧な対応をしていただいたことに本当に感謝してもしきれないのです。濃密な時間をありがとうございました。
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(05.03.22)

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