このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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(06.06.17)
平成18年4月28日。
宮崎最大の歓楽街“ニシタチ”において、約半世紀に街を照らし続けてきた灯がこの日を境に消えた。
先日
もこの拙いサイトで紹介させて頂いた“安兵衛小路”だ。
その終焉を前に、地元紙“宮日”では地域欄でこの歴史ある『横町』の姿をレポした連載が組まれていたし、何より往時を懐かしむ常連客が最後のお別れを言おうと通ったと思う。
私にとっての安兵衛小路とは、酒を飲むようになってわずかしか経たない身にとっての一つのあこがれと言っても良い。歴史があるだけに、私自身が知らないずっとずっと向こう側に繋がっている。私がこの目で見ることができなかった過去の姿をイメージさせてくれる大切な場所に思えた。 4月28日。幸いにも、この日。私は“県都”宮崎で職場関係の飲み会が入っていた。
会の中締めを終えて、ふらりとニシタチへと向かう。週末、通りは人であふれかえっていた。呼び込みのかけ声を交わすように、煤けた横町へ・・・。
いくつかの提灯が下がっているが、廊下はやっぱり薄暗い。お目当てのあのおでん屋“りつ子”のカウンターはやはりというか、満席であった。
隙間に割り込むようにしてカウンターに取り付く。
狭い店内は人であふれかえっていて、笑い声が飛び交っている。「お疲れ様!」とか「ありがとう!」とか言った言葉がカウンターの外と内で交わされていて、明るい中にも名残惜しさが店の空気を染めていた。
黒霧島をお湯割りでいただきながら、女将さんお手製のお寿司をいただいた。心底美味かった。前は、店の中に一人でこのお寿司をしみじみといただいたのだったな・・・などと思い出す。「食べて良いよ。」とのことだったので、目の前の皿にわずかに残っていたかぼちゃの煮付けを口に放り込んだ。
そして、お湯割りをぐいっと含む。
もう十分に酔っぱらったと思われる常連客に向かって、女将さんが「S先生!もう飲んだらいかんよ。これ以上飲んで怪我でもされたらいかんから。」と叱っていた。「大丈夫!」というそのS先生に向かって、終いには「もう、うちじゃ飲ませんかいね!」と一喝。
それを見ていた私の隣の方が、「こういうふうに親身に叱ってくれる店なんだよね。」と呟いたのを私は聞いたのだった。
・・・後日。
職場に1通のはがきが届いた。おそらく、閉店当日に私が残した名刺を頼りに届いた物なのだろう。
「前略
長い間の御来店、誠にありがとうございました。」
そういう書き出しで始まる短い文面が書かれたはがきを手に取ると、一つの時代が終わったのだな・・・という時の流れを感じないではいられなかった。
嗚呼、安兵衛小路・・・。このわずか一言に思いを重ねる人の数は数多であろう。歓楽街の一つの宿命として、ある時代の終焉に入れ替わるようにして、新しい何かしらのお店がその名残を踏みにじっていく。
・・・ただ、時の流れを押しとどめることは何人たりともできないのである。ある種のあきらめのため息とともに人々の記録はいずれ消え去ってしまうのだろうか。
店を閉められた跡の女将さんの消息はこの葉書でしか伺い知ることはできないのであるが、何を置いても女将さんの残りの人生に幸多からんことを思わずにはいられないのであった。
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