このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

祝!!
創業100年
萬年焼酎が迎えた新時代
(14.11.13)
有限会社渡邊酒造場。

言わずと知れた銘酒“旭 萬年”を醸す宮崎市田野町の焼酎蔵である。初代の渡邊壽賀市氏は愛媛県の出身。明治中期にアメリカに渡り、林業、製材業に従事した後、鰐塚山の麓で売りに出ていた焼酎蔵を買い取ったことがこの焼酎蔵のルーツ。このエピソードについては、「 石原けんじ大佐先生焼酎論集『K05 萬年にエールを送る〜初代と風土に思いを馳せて』 」をご覧いただきたいのだが、今年、めでたく創業100周年を迎えたのだ。

4月早々だったろうか。

その頃は専務であった渡邊幸一朗さんから電話をいただいて、7月13日の式典への出席を「モチのロン!」で快諾したわけですが、その際、渡邊酒造場と萬年との出会いを思い返したのですよ。ファーストコンタクトといいますか、最初の邂逅は2000年頃の焼酎ブームなんて想像すらしなかった頃。当時は平成の大合併前で宮崎郡田野町といっていましたが、宮崎大学の学生だった私は、所属していた写真部の飲み会の際に何度か焼酎を蔵に買いに行っていました。

それから、大学卒業後の福岡時代での渡邊幸一朗さんとの出会い。 この際 はあまり体調が良くない中での来福だったと思うが、以来10年以上、私のようなアルコール耐性がない癖に酒に呑まれて山芋を掘る人間に対しても、地元で開催される焼酎イベントの情報をいただいたり、蔵の庭先に植えてある梅の実がいっぱいなっているから・・・と梅酒用に分けていただいたり・・・と、日頃より恩を賜っているのでございますよ。

その様なことを考えながらの7月13日。今更なのですが、この頁を作成しているのは秋も深まった・・・といった時期でございまして、間違いなく時を逸してしまっている事態にただただ恐縮してしております。済みません。
前日、この式典のために宮崎を訪れてくれた飲み仲間との久々の再会、100年を迎える蔵の節目を祝詞、文字通り“酒”と“肉”に溺れておりました。

・・・決して誇張ではなく、夕方の老舗の串焼き屋に始まり、みょうが屋さんで焼肉のフルコース、バーでシングルモルトの杯を傾けつつ、〆は釜揚げうどんでした。帰宅したのは何時だったか?1時を確実に回っていたよ。

その時の模様も紹介できれば良かったのですが、済みません。写真ありません。
会場であるシーガイアコンベンションセンターに到着した際、既に式典が始まっておりました。画像のとおり特約店さんを対象とした記念式典の後、我々も参加させていただく創業100周年の記念祝賀会が続きます。
受付でも 酒のこばやしさん と方々とお話しすることができ、とても嬉しかったですね。SNSやらで元気にされているのは存じ上げていましたが、直接会ってお話しするのは5年振りでしょうか。

そうしているうちに入場のアナウンス。祝賀会が始まる。
着席後、会場を見渡したのだが、全国の酒販店の方、料飲店の方・・・。150人弱が出席されているようにも思える。

盛大だねぇ・・・と同席した方とお話をしていたところ、会場の照明が落とされ、スクリーンに映像が流れ出す。

初代の壽賀市氏の情熱と隣家の火災の延焼による醸造所の危機、戦争、2000年頃の焼酎ブームの到来と蔵の現在・・・。そして、今年が創業100周年の節目の年であることと、次の100年へとつなぐための奮闘は続いていること・・・。

その後、会場が明るくなり、3代目の渡邊友美さんが壇上に上がられた。蔵の代表としての挨拶かと思ったのだが、話はそれに止まらなかった。

創業100周年を機に、4代目の幸一朗さんに蔵の将来を正式に託すという発表がなされたのだ。
続いて、幸一郎社長が壇上に上がられる。

やや緊張されている様な面持ちだったが、「蔵の歴史を次代に繋げるべく努力をしていきたいが、まだまだ若輩。皆様のご指導、ご鞭撻をよろしくお願いします。」とゆっくり、しっかりとした口調で挨拶された。

いつかはこの様な日が来るのだろうな・・・と想像していたのだが、蔵の100周年という一大イベントでの発表。絶妙のタイミングであったと思う。

近頃は人口減少やら集落消滅といった将来に希望を持てない話題があちこちで聞かれる。それを真に受ければ、消費だって当然、縮小していくと思われる。蔵にとっても生き残りをかける局面にあたる場面も出てくる。難しい時代に経営者となられる不安はあるでしょうが、ともかく頑張って欲しい・・・と感じた。
そして、いよいよ祝賀会の開催だ。

壇上には二つの酒樽が置かれ、それぞれに渡邊酒造場を日々盛り立てるご家族が立たれた。そこに、当日、会に出席した地元宮崎や鹿児島の焼酎蔵の面々も木槌を持って並ぶ。非常に豪華な鏡割りだ。
乾杯の後、しばしの歓談。

実は、この日はドライバーを買って出ていたこともあり、焼酎を飲むことができなかった。

目の前には萬年の焼き入れが入った升がある。そして、卓の中央には白黒麦の萬年が置かれている。しかも、次々と宮崎県が誇る食材を使用した料理が運ばれてくるのですが、どのお皿も非常に美味しい。

飲みたいという気持ちを抑えるのに必死でございましたよ。
会場には渡邊酒造場の焼酎がフルラインナップで並べられ、そのどれもが飲み放題・・・。

よく見れば、万年星の 原酒鶴の荷車も並べられているじゃないですか。

聞くところによると、これらはあっという間に無くなったとのことです。
ふふふ・・・。宮崎牛のステーキですぞ。
宮崎市内で活動されているフラのクラブによる余興の後、幸一朗社長を中心に、奥様や友美会長ご夫妻、今や渡邊酒造場の貴重な戦力となった弟さんの潤也さんが壇上に上がられた。

蔵の今後、そして抱負について幸一朗社長よりあらためて挨拶がある。

幸一朗社長の前に立つのは社長のご長男さんで、物怖じしない性格に将来が楽しみだったりするのです。こうご家族が並んで立っていらっしゃるのを見ると、やはり萬年は「家族の絆」あっての焼酎なのだよなぁ・・・と思ってしまうのだ。

家族が手を携えてこその「次の100年」。先に書いたとおり、蔵の生き残りがかかる様な局面もあるかもしれません。それでも、美味しい焼酎を世に送り出し続けてください。微力ながら応援しています。

・・・あと、ページをまとめるのに4ヶ月もかかってしまい、ごめんなさい。
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