このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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10月某日。
帰宅後、PCを立ち上げてメールをチェックしていたのですが、久しぶりに
猛牛さん
からのメールの受信が。
おそらく、某大佐閣下のスキャンダルかなにか・・・と思ったのですが、メール本分の書き出しがとても重い。
「中洲のまりりんBARが本年いっぱいをもって閉店されるそうです。
つきましては、有志でお別れ会をまりりんBARでひらきたいと思うのですが、都合はどうでしょうか。」
まったく予想もしていなかった内容であったので、思わずPCの前で固まった。 まりりんBARにお邪魔した回数はそうは多くない。だが、いろいろと忘れられない思い出がある。なので、万難を排し参加いたします・・・というメールを送信し、厚かましいとは思ったが続報をお待ちした。
まりりんBARに初めてお伺いしたのは大学を卒業して、福岡のJAに就職した2002年。当然というか、
九州焼酎探検隊
の猛牛さんに誘われての訪問であった。上司や農家さんとの飲み会の後にスナックに連れて行ってもらったり・・・ということはあったが、純粋に酒を愉しむお店というのは初めての体験。このお店では思いがけない銘柄や貴重な焼酎・・・と出会うことができた。また、合間合間で出される“アテ”。ちろりちろり・・・と炎が揺れるビーフジャーキーやピリッと胡椒の効いたカレーなんていうのもあったか。棚を飾る焼酎の数は変遷していったけれども、宮崎の好きな銘柄や今はない鹿児島の銘柄のお湯割りを飲みながら意識は夢うつつの彼方に・・・ってな感じだったのである。
12月15日。
冒頭のくだりのとおり、中洲に近いホテルを抑えておった私は早朝より福岡を目指した。飲むのは夜からなのに、何故に早朝・・・っていうのは家族で向かったわけで、家族には天神で買い物を楽しんでもらいつつ、父ちゃんは飲み散らかすのだ・・・という目論みからの行動。家族サービスなど頭には微塵もない。
当日合流することとなっていた先発組は須崎の
古賀家
で軽く一杯・・・ということの様であったが、夕食くらいは家族で取らざるを得ず、久々の天神地下街を徘徊することとなった。
これから酒を飲むのであるから、軽く・・・と思っていたのだが、何でか地産地消が売りのビュッフェスタイルのお店に。セーブしよう、セーブしよう・・・と思いながら食い過ぎてしまったではないか。 待ち合わせの時間についてやりとりをし、20時頃にまりりんBARが入っているビルの前に立っていた。
待つこと数分。懐かしい顔が見える。猛牛さんはもちろん、遠く帝都から駆けつけた
いでさん
、カネゴン隊員、そして“
旭 萬年
”の渡邊幸一郎専務が角を曲がっていらっしゃった。そして忘れてはならないのは石原けんじ大佐ご夫妻だ。このところ、宮崎県は台風襲来がめっきり減っているのだが、その分、局地的な豪雨の発生が時折ある。このことは良く指摘される地球温暖化などではなく、私としては間違いなく閣下ご夫妻のなせる“ワザ”と感じているのである。
面々が揃い、エレベーターに乗り込む。店のドアを開けたが、そこは特別な感じは泣く、いつもの落ち着けるまりりんBARの佇まいであった。 一同、お店の一番奥のに陣取り、福田マスターに思い思いの注文を告げる。
「ほい!!」
と軽やかな声とともに定番の焼酎が杯で出された。乾杯の声と共に一同飲み進めるが、会話の途中に福田マスターの「これを飲んでみてよ。」という合いの手が出されるのである。
・・・コップで差し出された液体の正体。
香りや味わいからいろいろと想像するのであるが、確信を得ることが出来ない。焼酎を出されれば麦か米か・・・で迷ったり(この時の正解は壱岐の銘柄でした)、ピートの香がむせるような超個性的なモルトもあった。福田マスターが出されるお酒には、狙ったように変化球を放った様に思えて実は・・・と「何か」を感じることが多々ある。博多の言葉で偏屈ものの事を“げってん”というのであるが、かといってどこか憎めない。マスターのこういったサービス旺盛な部分にその言葉を思い浮かべていた。
・・・最後まで正解を出してくれないこともあるのだもの。本当、たまらんよね(爆)。
この日は、師走という時節もあったと思うが、福田マスターが切り盛りされているカウンターの前には人が絶えなかった。
久しぶりに九州の土を踏んだいでさんが「マスターと話ができない・・・。」とふてくされてコップの焼酎を飲み干されていたが、アルコールの勢いで時折爆笑の渦に陥るこちらとは全く違った“大人の空間”がそこにはあったのだった。
まぁ、これには正解があるわけではなく楽しくお酒を飲めればそれでよいのだが、何とも愛おしく思える時間。
まりりんBARは言わずと知れた中洲における焼酎バーの草分け。1982年の創業と言うから、かれこれ30年に渡って九州の郷土酒の魅力を静かに伝え続けてきたことになる。2000年代初頭の焼酎ブームにあっても、その棚を飾る焼酎のラインナップには一家言を感じざるを得ず、渡邊幸一郎専務をもって「全国津々浦々、うちが作っていた米焼酎のラベルを飾っているのはここだけ。」と言わしめるお店なのだ。それほど古い付き合いのあるお店のようである。専務がこの日参加されたのは、御自身の「今日の渡邊酒造場は無かった。」という言葉に集束されている。
そうしていると、発売されたばかりの渡邊酒造場の無濾過焼酎が燗で出されたのだが、一同、その温かさ、香りの広がりに黙りこくってしまった。

そうして、何時間が経ったであろうか。
喜怒哀楽の渦の中、あっという間に時間は過ぎ、また、熊本からの来訪者によるサプライズもあり・・・。
すっかり酔いきった頭で周囲を見渡してみれば、葉巻を吹かせながらカスクに没頭している人もいる。その一方で助平話や昔語りに興じている面々もおるわけでして・・・。
とりあえず、脱落者がでないうちにお開き。ここでは公開しないが、最後は私が構えるカメラの前に参加した一同が集っての記念写真となった。
まぁ、ちゃんと撮る側が音頭を取らなかったこともあり、命名のポージング。顔も写らなかった人もいるが、これが最後と思うといたたまれなくなった。
いつもの通り、「ご馳走様!!」と言ってお店を出る。見上げれば、古い“萬年”のラベル。もうすぐ終焉を迎えるのだ・・・と分かってはいるのだが、夢うつつに“ある”感覚がつきまとう。まりりんBARが無くなる。こうやって、その最後の日を目前に控えながらコンテンツをまとめているのであるが、どこか受け入れない自分がいるのだ。
どうやって整理を付けていこう・・・。複雑な気持ちを抱えてではあるが、これだけは言っておきたいと思う。
福田マスター。あまりお店にお伺いすることはできませんでしたが、これまでいろいろありがとうございました。お酒の味、楽しみ方。本当に勉強させていただきました。そのことは、私にとって酒を愉しむ事の一つの指標になっております。
(12.12.29)
【13.01.15追補】
朗報ですよ。
まりりんBAR。ビルのオーナーさんとの交渉の結果、この1月以降もお店を続けられることになったとの情報が入って参りました。
福岡に遊びに行くきっかけの一つを失った・・・と寂しい思いをしていたのですが、本当に良かった。
また、美味い焼酎をいただきにお店にお伺いしますね。
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