このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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【川越酒造場編】
仕事帰りのある日、珍しく
けんじ大佐
から着信があった。どうせ絶版焼酎がどうのという内容かなと思ったのだが、
「ごいちゃん・・・。12月・・・6日だけ・・・ど暇?」
とのこと。聞けば関西を中心に活動する美女のんべぇ集団“
芋っ子倶楽部
”の楠美部長以下数名が来宮されるというのである。それを芋っ子宮崎支部のマツユカ女史らが迎えるというのだ。「うーん。またかあちゃんにヤキ入れられるかなぁ・・・。」と断ろうとも思ったが、ここで熟考。
普段『テゲ』ばっかりが渦巻いているだけの日向の国であるから、このようなウハウハの事態なんてそうそうある物ではない。ウハウハ状態だけでなく、もしかしたらもしかしたらお友達になって・・・なんてこともあるかも知れない。「ぜひぃ!!」とお手伝いを申し出たのであった。
当日、川越酒造場のある国富町に午前10時の集合となった。一応理性を保とうとwifeに同行を希望したのであるが、新田原の航空祭の後に私が風邪を感染(うつ)してしまいキャンセル。うれしいやら後が怖いやらというジレンマに陥ってしまった。そげな心理状態の中、川越酒造場の事務所前に立ったのである。
『がらら・・・』
突然戸が開いて川越善博氏が出てきた。いきなりのイベントに間抜けな自己紹介と挨拶をしてしまったのは言うまでもない。 芋っ子到着。ウハウハの日向路に1歩踏み出す。
事務所に通され、申し訳ないけれどお茶を頂く。奥では奥様の龍子さんがパソコンの前に座ってキーボードを打っていた。
ここで大佐より入電。15分ほど到着が遅れるとのこと。到着までの間、善博氏にサツマイモの契約栽培やその品質管理についてお話を聞かせていただいた。
「“川越”の味は余所(の焼酎)には無いでしょ?」
そのようにおっしゃったのが印象的。
そうこうしているうちに大佐が到着。
戸が開いて後光が射して見える。楠美部長以下4名の芋っ子倶楽部の到着である。宮崎県からは芋っ子宮崎支部のマツユカ女史とNさん、女史の同僚のSさんと両手に花束状態。いいのであろうか・・・。
みなさん事務所で善博氏を囲んで、お話を伺うこととなった。善博氏、普段は気むずかしい方らしいが、ウハウハの事務所である。普段よりよく話すとは龍子さんの弁。
「蔵に入ったばかりの頃は分からないことばかりだったから(笑)。鹿児島から来ていた杜氏も教えてくれたけど、やっぱり分からない。だから造りの上でタブーとされてきたことを率先して破っては、反応なんかをノートにとっていたね。」
善博氏はおっとりとした話し方で造りのことなどを話してくれた。時折『科学的』ということをおっしゃったが、九大農学部卒という学歴が示す通り学者肌の人である。
話の途中での龍子さんとの会話が温かく、本当に中がよいのだなと感じさせるご夫婦でした。
続いて善博氏に蔵の案内をしていただいた。丁度、米焼酎“赤とんぼの唄”の造りを始めたところであったらしく、ご子息の雅博氏がドラムの操作につきっきり。ここでマツユカ女史の同僚であるSさんが雅博氏の高校時代の同級生であったことが判明。蔵の中に驚きの声が挙がる。
本当に絵になる蔵である。龍子さんは「ぼろい蔵だから・・・。」と笑っていらっしゃったが、そげなことはない。とにかくカメラを向けずにいられないのである。
上の画像だが、タンクの温度を一定に保つようにマットが巻いてあった。
責任者として「川越善博」の名前のあるプレートがかけてある蒸留器、真っ暗の中ぼーっと浮かび上がる貯蔵タンク、土中に埋められたカメ・・・。要所要所で足を止められてはてきぱきと説明をされる善博氏。それにあわせるように芋っ子美女が質問をする。
奥の方では作業が忙しいのであろう。布巾を洗ったり、P箱を運んだり・・・。途中雅博氏の携帯電話が鳴ったが、雅博氏も電話に出るために取りに来ることもなく、結局音はしばらくして止んだ。
帰る前に記念撮影をさせていただいた。恐縮にもご厚意で“川越”を1本づつ頂いてしまう。約1時間ほどの滞在だったが、大人数が蔵をうろうろしてご迷惑をおかけしました。
(2003.12.25)
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