このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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2004年10月22日。西都市と高千穂町にある焼酎蔵“
神楽酒造(株)
”が東九州サングリーン企業団地への立地調印を行った。6500㎡という工場は2006年より稼働し、
宮日新聞
によると9000キロリットルの焼酎製造を見込んでいるという。この工場で作られるのは芋焼酎と言うことだから、つまりは同社の芋焼酎“天孫降臨”の生産増強ということになる。“天孫降臨”の伸びは宮崎市内でも著しく、この常圧減圧ブレンドの芋焼酎の看板があちこちに進出している。飲みやすい風味が宮崎県人の嗜好に合うのだろう。
さて、その新工場で焼酎製造を行う為には焼酎蒸留免許が必要になる。蒸留免許を国に申請して発行を受けるのは困難を極めるため、廃業もしくは休業中の蔵から免許を持ってくる必要がある。既に業界では当たり前の事で、昨年も東郷町の“
富乃露酒造店
”が鹿児島から廃業した蔵の免許を買い上げている。高鍋の“
(資)黒木本店
”にしても新富の廃業蔵の免許を譲り受けて、木城の山中に“
尾鈴山蒸留所
”を立ち上げた。
神楽酒造は西都市都於郡地区で地元向けに“岩乃鶴”という芋焼酎を造っていた“岩乃鶴酒造(株)”を2004年に傘下におさめることでこれに対応した。その記事によると、この新工場が完成するまで施設を遊ばせておくのはもったいないのでこの都於郡の工場には麦焼酎を造らせているそうだ。 都於郡地区の中心部。一番国富よりにあるのが岩乃鶴酒造だ。かつては地区のメインストリートを挟んで蔵元の住宅と工場及び販売所が存在していた。
自宅のほうは蔵が自醸していた頃と変化はない。看板に書かれた『家庭の酒』という文句が泣かせる。
また、“岩乃鶴”には甘藷だけでなく、米や麦製の焼酎もあったことが伺える。
元工場と販売所があった対面は大きく姿を変え、この項のtop画像のような様相になっている。大きな鉄骨の建物、ホーローのタンク・・・。岩乃鶴酒造自体は末期はほとんど造りを行っておらず、1日売る分だけを瓶詰めして蔵の近所の愛飲家や飲食店に販売している状態だったから、大きく手を入れる必要があったのだろう。
蔵の目印であった巨大な釜の形をした看板は残っていた。top画像左隅に見える浄水器のさらに奥に置かれている。
岩乃鶴については別に機会を設けて紹介したいが、蔵の周辺であっても看板等を含めて痕跡はほとんど残っていない。
そのような中でかつての蔵の顔と言っても良いこの釜が残っていてくれて本当に嬉しかった。撤去されてしまったのでは・・・と心配していたのだ。
敷地内には神楽酒造のカローラバンが停められていて、岩乃鶴という焼酎が既に消滅した銘柄であることを強く思い知らされた。昔、カメラを持って焼酎を買いに来たことがある蔵だ。その時は甘藷の5合瓶を購入し、大将の写真も撮らせてもらった。そのことを一瞬思い出してしまい、心は深く沈んでいく。
その傍らにあったプレハブが今の事務所だった。ドアの所に古めかしい木製の看板がかけられていた。新しいプレハブと非常にアンバランスな“それ”には『岩乃鶴酒造株式会社』とあった・・・。
(05.05.01)
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