このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
ひょんなことから、木城町にある有名な焼酎蔵を見学することの出来る機会を得た。本当に偶然というか、私の所に舞い込んできたとですよね。この蔵元さんの焼酎を飲んだことはあれど、当然といえば当然だが見学に・・・なんていうことはなかった。蔵の場所にしても木城町の石河内地区に有ると言うことしか知らず、「山のてっぺんに建った蔵で焼酎造りをやっているっちゃね。」といった印象でしかなかった。
この蔵のはもはや言う必要もないと思われるが、高鍋の黒木本店が出資している焼酎工場である。本家は商品コンセプトや商品そのものからカタログ、紙袋までデザインや蔵のイメージをとても大切にされている。とくにここ、『尾鈴山蒸留所』についてはその傾向もひときわ強く思え、わずか3銘柄(先だって発売が開始された麦焼酎が出る前はジョイホワイト製の芋焼酎と米焼酎の2本立てであった)という少数精鋭と完成されたパッケージでの商品展開をされている。“
尾鈴山 山翡翠
”、“尾鈴山 山ねこ”、“尾鈴山 山猿”。一目見るだけでで同蔵の商品と分かる。ちなみに私は“山翡翠”のラベルが一番好きだ。 当日は時折激しい雨が降る悪天候であった。木城町石河内に向かう道は立派になったが、小丸川に沿って続くワインディングは霧に煙る。石河内地区はこの道の先にあるが、商店もヤマザキのコンビニが1軒だけの静かな集落だ。
そのコンビニの先の上り坂を、絵本の里の看板を目印に上がっていく。数百mの坂を上り、進んでいる方向がぐるりと回ってしまうような大きなカーブを抜けると蒸留所の案内板が見えた。そこの坂を下り、駐車場に車は止まる。
・・・晴れた日であれば山の緑が素晴らしいのであろうが、雨雲が立ちこめ、降る雨に煙る石河内の風景は荒涼であった。周囲を見渡しながら、造りを行っている棟への階段を進む。
デザイナーハウスとでも言った方が十分にその雰囲気を伝えるであろう建物の中で出迎えてくださったのは同蒸留所のスタッフである竹井三千弘氏であった。いくつか注意点についての説明を受け、「生き物を扱っておりますので、申し訳ありませんが・・・。」と白衣及び帽子を渡された。この他にも環境の変動が与える微生物のストレスを軽減するためにいろいろと気を遣っていることが伺える。まずはガラス張りの廊下を抜け、蒸留などを行うスペースに通される。
戸を開けて中に入った。「ん?以外とコンパクトではないか。」そう思ったのが最初の印象である。
細長い部屋に原料を蒸す大きなこしきが2つ配されて、そのうち一つの前には蒸し上がった原料を受ける大きなタンクが据え付けられている。奥に蒸留器。そしてタンク・・・。
以前「焼酎楽園」のvol.4に掲載された写真を見ると作業場を見下ろすようなハイアングルで撮影されていた。それを見たときに「すごい広い!!」というイメージを植え付けられたのであったが、実際は限られたスペースをいっぱいに使用するといった感じだ。
2機あるこしきのうちの一つは麹をはぜ混ませる米を蒸す物。続いて真ん中は2次もろみを仕込むための原料用。話の感じではそのように分けられているようだった。ちなみに秋口の甘藷の仕込みが終了した今の季節は米焼酎を醸しているらしかった。その後に麦焼酎の仕込みが始まる。
これが同蔵が使用している蒸留器だ。そのうねうねとしたパイプの向かう先を観察していたいが、どんどんと順路を進んでいくのでデジカメでの撮影だけでも・・・と素早く構える。仕込みの棟の中は焼酎の甘い香りで充満し、アルコールに弱い私などはすぐに酔っぱらってしまいそうだ。その香りを放つ主は順路の先にあった。
蒸留器の先には蒸留が終わって幾ばくも経っていない原酒でいっぱいのタンクが並んでいる。ここから貯蔵棟へ移され、“山翡翠”であれば2年の貯蔵を経て商品として出荷される。手前のふたのないタンクにはポンプから空気が送り込まれていたが、ガス抜きのために行っているらしい。
竹井氏がこのタンクから柄杓で焼酎をくみだして渡してくださる。白濁。薫りもぷわわぁぁ・・んと強い。44度という度数は口に含むと思ったよりも柔らかい。生産する現場で飲むというシチュエーションに因るところも大きいが美味かった。
ここで何だか近代的な工場を思わせるスペースとはお別れだ。今から微生物が思いっきり活躍する場所へと入るわけであるが、その前に「麹室だけは写真に撮らないでください。」という撮影禁止令が竹井氏から出された。よって画像は無しでぇす(爆)。
「環境の変動を少しでも抑えたいので、扉をしっかり閉めてくださいね。」
そう言われて竹井氏が二重になっている引き戸を開ける。もわ〜っと温かい空気が顔に当たり、部屋の中心にどんと鎮座した製麹の作業台が鎮座していた。使用する米はハナカグラといか言ったか・・・(忘れたぁぁぁ・・・)。そしてその奥に麹箱が積まれた部屋がある。麹箱の中に広げられた米の一粒一粒の表面にはぽつぽつと小さな白い固まり様のものがあって、麹カビが繁殖している様子が分かる。「私どもの酒造りの最も重要な部分がここで行う製麹という作業です。ここの・・・。」竹井氏の説明を受けながら「尾鈴山蒸留所の心臓部といっても過言ではないわけね。」と撮影禁止の意味を一人納得していた。
これまでも何度か紹介したと思うが、この手麹の技術。かつて新富町で“清鶴”という銘柄を造っていた清氏による直伝である。この清酒蔵と清酒蔵の近所にあった山本酒造(こちらは“福泉”という銘柄を造っていた)の免許を合わせて尾鈴山蒸留所を立ち上げた(清氏談)際に、技術指導を受けたそうだ。清氏が造っていた焼酎も麹造りにもっとも重きを置いていたそうであるから、尾鈴山蒸留所の焼酎のきめが細かい風味はしっかりその“清イズム”を引き継いでいる。
再度二重になっている引き戸を開けると、次の部屋にはカメが整然と並んでいた。画像のもっと手前にこれらカメよりも一回り大きなカメが埋められている。1次仕込みのカメである。櫂で良くかき混ぜて、この仕込んで2日目というもろみをコップに注いでくれる。口に含んだ感じはヨーグルトというか日本酒というか、クリーミィで濃厚な風味であった。ここで十分に酒母が育つのを待って、から先ほどの恒常的作業場において蒸した米を加え、奥のカメで再度微生物の働きに委ねることとなる。
ちょっと分かりづらいかも知れないが、左側が2次仕込みに入って5日目ほどの2次もろみである。活発に発酵が進んで小さな泡がプクプク・・・とあふれるように浮いてきた。そしてもう少し発酵が進むと右側のように発泡も落ち着いてくる。そうやって2週間ほど時間をかけてから、蒸留というクライマックスへと進む。
せっかくなので、焼酎粕の処理について紹介しようか。海洋投棄や土壌への廃棄が禁止されたことから、焼酎の製造元は産廃の業者に処理を委託するか、自前で処理プラントを整備しなければならなくなった。当然ながらどちらを取るにしても高額である。ここ、黒木本店と尾鈴山蒸留所では廃液については高鍋町内で堆肥化処理を行った上で袋詰めして“蘇る大地”という商品名で販売している。また、尾鈴山蒸留所で出る洗浄水は蒸留所内の汚水処理施設で活性汚泥法(水中に酸素を送り込んで分解菌の活性を高め浄化する仕組み)による処理を経て放流しているそうだ。下流域に木城、高鍋の市街地があるため、水質には非常に気を付けているらしい。
最後にお待ちかねの試飲タイムとなったのであるが、3種を飲み比べるとそれぞれの個性が味わえて楽しい。竹井氏がお勧めの飲み方を紹介してくれるが、私にはスッキリとした飲み口の“山猫”、“山翡翠”よりも主張が強い“山猿”がもっとも合うように思えた。
見学も含めて1時間ほど蔵にお邪魔させていただいて辞したのであるが、車で蔵を立ち去る瞬間、雨の中、竹井氏が見送りに出ていらっしゃるのが見えた。対応ありがとうございました。
そうして、車は木城町の中心を目指す・・・。
(05.02.25)
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|