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岩乃鶴
岩乃鶴酒造(株) 宮崎県西都市

(2005.05.28)
岩乃鶴酒造株式会社。この銘柄も既に極少となった店頭在庫に頼る他無く、消化するに当たって、絶版焼酎を取り扱う「だって欲しかったんだもの・・・。」のカテゴリーに入れることも考えた。だが、社名は現時点で残っているのだし、あえて「現役」として扱うこととした。

先日
もコンテンツを書き上げ紹介させていただいたのだが、既に高千穂の 神楽酒造 さんの傘の下に入っており、この“岩乃鶴”という銘柄の将来は厳しい状況にあると言える。将来的に、神楽酒造は自社の芋焼酎“天孫降臨”の生産増強を行うために、西都市内の工業団地“東九州サングリーン企業団地”への立地を計画している。その6500㎡という広大な敷地面積を誇る工場は2006年より稼働する予定だ。それと同時に今の都於郡の蔵は在所を移し、そして消滅する。蔵の最末期の製造量はわずかに100石程度。流通には乗せておらず、商品が欲しければ近所の人はもちろん酒屋も直接蔵元へ買いに求めるような状態だった。

蔵へは大学生の頃、一度だけ焼酎を買いに行ったことがある。その際、蔵の大将に応対していただき、ご自身の写真撮影にも応じてくださった。販売所の棚には何本かの“岩乃鶴”が並び、同じ製品(度数の違いも有ったかもしれないが)であるのに複数のラベルが混在していた。中にはラベルが不足していたのか、白黒の複写を貼ってある1升瓶もあるなど、非常に商売とはかけ離れた空間となっていた。

主力銘柄である“岩乃鶴”という銘柄の由来は、同じ都於郡地区の大安寺に舞い降りていた鶴の群にある。昔々は西日本各地に渡来していたナベヅル、マナヅルが渡来地へ向かう道途中に休憩のために立ち寄ったのだろうか、それとも毎年毎年の越冬の風景だったのだろうか・・・。蔵のある地区は、戦国大名伊東氏城下町であった頃はそれは栄えていたのだろうが、今はメインストリートも閑散とし、遅い秋の夕方のセピア色が非常に似合う風景となっている。

晩年はほとんど自醸していなかったと聞いているから、タンク内での貯蔵は相当長かったのではないだろうか。25度の焼酎であるが、生でもスムーズに喉に入っていく感覚に納得できる。全くとがった所がない。香りは甘藷のクリーミィさそのものであり、その味も水の様に何処か透明感を感じさせる甘さを持ち、さらりとしている。正直うまいと思った。

ブームブームとは言うけれども、周囲を見渡してみるとやむなく家業を辞められる蔵元もおられる。消滅しつつある銘柄を前にして、考えてしまう。・・・そうして、コップの中身に焼酎がわずかしか残っていないことに気づき、チビチビと飲むペースを遅めるのだった。
25°
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