このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西都農業協同組合 の 「鏡」
市町村の中核をなす施設に行った場合、地元企業の“”などという文字の入った『モノ』が置いてあるのを見ると思う。どのような産業が幅を利かせているか・・・とか、この商店さんが昔から地元相手に商売されているとやね・・・とその地域を伺わせるひとつの入り口的な役割を勤めているのである。また同時に、ホーロー看板同様こういった『モノ』というのはその道が大好きな人にとっては垂涎の的になるわけで、見かけるや否や“ヨダレだらだらあぁ欲しぃ・・・”状態になってしまうのであった。

この鏡はちょっと用事があって入った 西都農業協同組合 の本所の壁にかけてあったのだった。ちょうど2階に上がった組合長室の前。何気なく3階のホールへ上がっていこうとしたところ、なにやら金色にきらりと光ることに気づいたのだった。

なんだなんだと近寄ってみたら・・・。「あっ!なんか彫り込んである。
鏡の上部に金色の図案らしいモノが入れてあったのだ。

で、なにやら“ひげ文字”らしいモノも見受けられる・・・。

もっともっと寄ってみようか。
鏡の左側から順に“岩の鶴”、“まが玉”・・・・。ん?
こりゃぁ、西都市の焼酎製造元が西都農協に寄贈した鏡じゃないですか!!
こんなところでお宝発見である。鏡の大きさは2〜3×約2m余り。相当大型の鏡だ。さて入れてある銘柄であるが、今日西都市に蔵を構える“正春”、“岩乃鶴”ら3蔵元に加え、既に廃業した銘柄も見ることができる。それらも含め下に列記してみようか。

    ○『岩乃鶴』・・・株式会社 岩乃鶴酒造
    ○『まが玉』・・・吉野美文酒造場
    ○『正春』・・・黒木酒造合資会社(現在は正春酒造合資会社)
    ○『松月』・・・富田孝夫酒造場
    ○『一ツ瀬』・・・岩倉茂人酒造場(今の『月の中』を造る岩倉酒造場)
    ○千代司 』・・・黒木美徳酒造場
    
『故郷』・・・鈴嶺酒造株式会社

このうち“松月”については岩倉酒造場のある西都市下三財に近い宮の下
という地区で造られていた焼酎。20〜30年近く前に消えていったという。また“故郷”は霧島酒造に引き継がれ、ここ数年前まで西都市にも工場が存在していた。“まが玉”は西都市の中心部三宅の銘柄でやはり数年前まで存在。“ 千代司 ”は以前紹介したとおり。

“月の中”で全国に名をはせる岩倉酒造場の以前の銘柄名が示されていたりと、焼酎史料として非常に価値のある鏡ではないか。
左から“岩乃鶴”、“まが玉”、“正春”。各銘柄の下に製造元が入れてある。
そして“松月”、“一ツ瀬”、“千代司”。で、その奥に“故郷”がある。画像が非常に見づらいが、勘弁していただきたい。
この大鏡の背面には“黒木美徳酒造場贈の鏡”が据え付けてある。かつて西都市でも“うまい焼酎”として絶対的な支持を得た焼酎。そのようなエピソードを語る行き字引である。

西都焼酎の特性というのか、その時々の焼酎の“出来”が西都市内で良く流通する焼酎を左右するという話を聞く。かつては“千代司”や“岩乃鶴”、“正春”と大きな支持を得た焼酎が時代時代で変化している。変化のきっかけは「味が変わった」とか「混ぜモノをした(量が足りなくなって桶買いをしたということだろう)」といったことである。そのため蔵のお膝元から遠く離れた地区の酒屋で、ラベルの色あせた瓶を今でも見かける。それだけ多くの蔵元があって、銘柄の選択肢が広かったと言うことであろう。
1階の洗面所入り口には“岩乃鶴”の鏡があった。
西都農協の職員の方に聞くことが出来たのだが、今の本所の建物が出来たのが昭和40年代。このような大きな鏡を贈るというのはやはり記念的な意味合いが強いと思われるので、本所が建った際につけられたと思われる。以来、ずっとこの階段を上り下りする人々の姿を映し続けてきたのだろう。みなさんも役場や農協に行った際に気をつけて壁などを見てみてはいかがだろうか。もしかしたら焼酎に縁のあるモノがあるかも知れないから。

それにしても、欲しいなぁ・・・。この鏡(なーんてね)。
(2004.01.03)

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