このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

見逃しがちです。 『焼酎看板』
焼酎の銘柄銘が入った看板。酒屋はもちろん飲食店などに掲げられている。この看板についてはお読み下さっている皆々様のご存じの通りでして、

「うちの焼酎を扱ってくれるっですかぁ?じゃったらですよ。お店の看板を作らせてくれんやろかい(うちの銘柄名入りで)。」

という感じで蔵元さんがお金を出して作っているようである。

福岡などのように一大消費地では「昔“雲海”、今“霧島”」と時代時代で流行銘柄が変化する様を看板から観察することができる。またそういった大消費地の辺縁部では“銘柄侵出”の状況。つまりどのような銘柄がその地域・集落に入り込んでいるかを判断する材料となりうる。実際に(一応)福岡市通勤圏である糸島郡志摩町では宮崎の“はまゆう”の看板が未だにかかっており、この蔵のかつての営業努力の跡を見ることができる。筑後地方では、やはり清酒どころということもあって地元清酒蔵の看板が焼酎を押しのけているが、宮崎の麦焼酎“くろうま”の看板をしばしば見かけることができた。

実はこの項を書くにあたり、きっかけとなった看板があった。日向市美々津にあった五ヶ瀬町の廃業蔵の物ではなかったか・・・。“やすらぎ”という麦焼酎の看板である。廃業されて数年経つが、国道10号線を北上するといくつか見ることができたのだった。いつも通り過ぎるだけで数年が経ったのであるが、先日、門川町までドライブをした際に撤去されているのに気づいた。非常にしまったと思った。

焼酎生産県の場合はどうであるか?焼酎看板の“銘柄”はその銘柄の勢力範囲、そして“霧島”の看板ばかりが目立つ宮崎県であるが、蔵元を抱える市町村の中心部では看板にその蔵の銘柄を見つけることができる。日南市など複数の蔵元を抱えている地域では“松の露”、“飫肥杉”が多くを占めるけれども、それぞれの地域焼酎の看板を掲げていることが嬉しい。西米良村などでは山向こうの湯前との歴史的、地理的なつながりに対してもアプローチをかけることができるのだ。つまりはその地域でその銘柄がどれほど愛されているかを判断する基準(地域の顔)となるのである。

看板の数が多い銘柄はよく飲まれる、少なければマイナーの部類になる・・・ということになるが、もう一つ付け加えたい。前述の“やすらぎ”のような廃業蔵の看板の扱いである。

廃業蔵の看板の現存は市街地、郊外と言ったようなある程度の法則に乗っ取っていないようである。法則めいた物があるとすれば、宮崎市の“はまゆう”、“白麹・黒麹大淀”、西都市を中心に残る“ まが玉 ”や“故郷”などのように、かつて蔵の所在の周辺に残っていることが多い。これから古い銘柄の看板は、その地域で(過去)主に飲まれていた銘柄がなんだったかを記録したものということができるであろう。一種の郷土史史料なのかも知れない。「たかが看板だからといって侮る無かれ。」ということになる。

しかしながら、その記録物も銘柄が飲まれなくなって急速に姿を消しつつある。まだ目にすることができる今こそ、記録を残しておく必要があると思う。流石にモノホンを手元に置くことは難しいから、できる限りカメラを向ける機会を設けたい。

そして何故にその看板が残存しているのだろうか。同じ店舗で現役、絶版という複数の看板が立っている例を見ると、撤去費用のこと、今の看板がまだ使える・・・等ということを勝手に想像してしまうが、やはりそれぞれの理由があったのだろう。こういったことも調べていく必要があると思う。
− 今だからこそ・・・。 −

(04.08.16)
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