このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

幻の池田焼酎
もう携帯電話の履歴が残っていないので、正確にはいつだったか・・・ということを思い出せないのだが、あれは7月の下旬の事だったと記憶している。

夜。普段は読書などしないグータラが珍しくも本を開いていた訳だが、そこへ 猛牛師 からお電話にいただいた。

「牛です。夜分すみません。実は、今、中州のまりりんBarで飲んどります。いやぁ、ごいちゃんすごいことになったよ!!。」

・・・と電話の向こうの声は興奮されている。某大佐先生ならば、3割くらいは「またまたぁ・・・。」なんて、話の筋から“対ラテン系な方々的”割引ができそうなものなのだが、猛牛師の口調から電話をくださった理由の逼迫度を伺うことができた。

「実は、まりりんのマスターの知り合いに“粕取りの池田”をカメで持っている人がいるらしくてですね。マスターが手に入れたらまた電話をいたしますばい!!」

たったこれだけの短い電話である。だが、これはかつて猛牛師、石原けんじ大佐とご一緒させていただいて歴史から消え去ろうとしていた粕取り焼酎の実態、特に「蒸留時、酒粕に籾殻を混ぜて通気性を確保し、それを蒸篭式の蒸留器にかけて酒精を得る」という『正調粕取り』を探しまわった“ 粕取まぼろし探偵団 ”の一員としては鳥肌が立つ内容であった。

さて、粕取り焼酎“
池田”については、探偵団の 探査行 やその成果である レビュー (私が書いたのですが、拙くて申し訳ございません)を参照願いたいのだが、蔵は九州大学の移転に伴う発展に沸く福岡市西区周船寺にあった。焼酎を造り、販売していたのは聞き取りから推測する限り90年代の後半までだ。当時から作りが丁寧・・・と周辺の酒屋の大将が懐かしい顔をして酒の話をしてくださったのを思い出す。蔵を閉められた理由はここでは触れないが、その際、近所の方が大きな甕で焼酎を引き取ったという話も聞いた。

猛牛師が電話の中で仰っていたカメというのは当然「甕」であるから、もしかしたら蔵が無くなる際に近辺で起こった“ドタバタ”の産物なのだろう。ともかく、猛牛師の続報を待った。


・・・・・それから1週間もしないうちに猛牛師より連絡が入る。どうなるか分からない・・・ということだったので急展開とも言える事態の好転に驚いたわけだが、早速、師はご自身が運営されているBlog“ Soul Foods in 九州 ”にてその「宝物」を紹介されている。 リンク先 を参照願いたいのだが、確かに甕だ。

こういう物を見せられるともう気分もそぞろ・・・となる。だが、スケジュールを確認してみたところ、どうも週末まで予定がびっしりである。お盆は必然的に無理だしぃ・・・。あと、まさか焼酎(とは言ってもものすごく貴重な焼酎なのだが)を飲むが為に福岡まで行く・・・とは嫁に言えるわけがない。

ま、土壇場で切り出してみたところ、「いいよ。」と条件付き快諾を得ることが出来た(条件とはショッピング。当然ながら女性ですねぇ・・・。いやはや)。あとは、宿の確保である。スケジュール的に何とかなりそうなのは8月22日、23日の週末。早速、意気込んでネットやら電話やらでホテルの空室(しかも家族4人で宿泊可能)を探したわけであるが、その日にはコブクロのツアーが福岡で入っていたり(理由はこれだけじゃないでしょうけれど)・・・でともかく難儀した。最終的には春吉橋の近くに確保することができたわけだが、何というかドタバタだ。

8月22日の午前、ともかく福岡に向かって出発した。買い物は以前居住していた西区姪の浜に近いマリノアシティにでも連れて行けば何とかなるだろう。だがなぁ・・・。久々の福岡市内の運転は免れそうにない。う〜ん・・・。道は間違えないとは思うが、車線やら何やら・・・。ちょっと記憶が曖昧なのだな。

そのような事を考えながら九州自動車道を北上する。太宰府I.Cから福岡都市高に入り、ももち浜のあたりに至ったとき、思わず「おぉ〜・・・。」と声を上げてしまった。・・・田舎者だし。しょうがないじゃん。

無事にショッピングを済ませ、ホテルにチェックイン。久しぶりに福岡市中心部の路地裏に入り込んだが、まだまだ古い建物が残っている。明日の朝にでも撮影すればいいか・・・と思いながら(・・・とはいっても、翌朝は寝坊)、ホテルを出る準備をした。

猛牛師と待ち合わせをしたのはホテルのある春吉から歩いて30分くらいの須崎問屋街。そこに“古賀家”というお店がある。座敷があるという話を聞いていたし、福岡市中心部ということもあったのでちょっと緊張していたのだが、行ってみれば非常にアットホームな感じのお店であった。焼酎もそろえが良いし、何より博多の料理の味付けがうまかった。

そこで、近況やけんじ大佐の悪口(うそですw)・・・とたわいのない話で盛り上がる。うちの子供達、特に下の子は人見知りが激しい部類に入るのであるが、珍しく初対面の大人(つまりは猛牛師)になついていた。これも人柄というものであろうか。

お店には1時間ちょっといたと思う。「そろそろ行きましょうか。」とお店を後にする。

いよいよ、池田焼酎との対面である。目指すは中州における焼酎バーの草分け的存在“
まりりんBar”である。
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(09.08.31)

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