このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日向マターリ隊、 粕取り蔵へ行く。
佐伯の寿司はウマーだった。
5月の中旬から下旬にかけて、大分県は緒方町にある粕取り焼酎『富源』の蔵では、粕取り焼酎の蒸留が行われた。しかしながら日が悪く、“日向焼酎界のプリンス石原けんじ大佐先生 におかれましても仕事で断念された様であるし、私についても子牛セリ市前でそれどころではなかった。じゃ、月が明けたらということになり、6月5日(土)、佐土原町の宮崎県総合農試の入り口にあるローソンへ集ったのである。

まとまりがない宮崎の焼酎ファンであるが、今回参加するのは石原けんじ大佐先生、そして“
日向焼酎界に咲く華麗な花マツユカ女史、加えて、その前の週を丸々熱発回避となってしまった“駄目人間goidaである。ローソンで朝食その他を補給後出発することとする。ん?マツユカ女史、財布は?・・・持ってきたけれども中身を家に忘れたようだ。大佐先生が紳士的にも立て替えておられたのには心から感動。

本気に病床にあったため、実は詳しい日程を聞いていない。ただ、佐伯である人と待ち合わせをし、特上の寿司を食うというのだ。寿司ねぇ・・・。しばらく食っとらんよ。

大佐先生と女史の乗るスプリンターは快調に飛ばしていく。10号線は車の量も多いので難なく付いていけた。しかしそれも延岡を過ぎる頃にはひたすら追走に転ずる。追いつけないのである。大佐先生のご運転には本当に感服だ(しかしその車内では女史の断続的な交通指導が行われていたそうだが・・・)。

何とか10号線と佐伯方面の分岐点。大佐先生のお車に追いつくことができた。しばらく走り、ゆっくりと待ち合わせ場所である佐伯駅へと滑り込む。程なく、濃紺のカルディナGTが滑り込んでくる。車から出てきたのは 九州焼酎探検隊 筑前本隊所属の精鋭、
カネゴン隊員である。白いTシャツに短パン姿とその出で立ちは病み上がりにはつらい。ううっ・・・、おいちゃんだって元気であればねぇ・・・。この時点で12時だ。

昼飯である。さすがに腹が減った。今回はかなり奮発・・・となるが、本当にウマーらしいのだ。これは期待しないわけにはいきませんぞ。・・・たどり着いたのは佐伯市内の路地裏にある“
福寿司”である。この項を書くにあたりネットで検索をかけてみたが、わらわら出てくる。かなりの有名店のようだ。我々は座敷に陣取ったが、元々席が少ないので予約を入れた方が確実であろう。
特上を注文するが、大佐先生は5人前を注文される。参加人数は4人。一同「?」となるのだが、大佐先生は2人前食べられる気であったのだろうか。とにかく適正数を注文し直し、一件落着となった。

左がその特上である。カニにアワビにウニに・・・。はっきり言ってウマーだった。それにしてもみなさん、なんでアワビが一番最後まで皿に残っていたのでしょうか?
この後、単品のイサキやらアジやらを注文したのだが、これらも当然激ウマ。イサキはかぼすを絞って塩をちょっと付けていただくのだが、味が締まって非常に良い。しかもアジなどはもちもちとして極めて甘い。ここで私は満腹となったために茶をすすっていたのであるが、3方はさらに太刀魚を注文されていた。軽く炙ってあるこれも絶品であったようで、以降、機会あるたびに「食べるべきだった。」と嫌らしい精神攻撃を受ける・・・。

皆食べ終わって雑談となった。「ぬるぽ」、「だめぽ」等々、大佐先生とカネゴン隊員の間で言葉が飛び交うたびに私と女史は目が点であったのだが、九州新幹線全通後の熊本の話となったとき、宮崎は僻地性を生かしてマターリやるしかないということで皆の意見が一致する。そげな事を話しながら、「大佐先生が中心となる宮崎のしょちくれ集団を“日向マターリ隊”と仮に呼ぶのも良いなぁ・・・。」などと考えてしまった。というわけで、この項のタイトルへとつながるのだが、前置きが長かったかな?

さて、腹も一杯になったことだし、緒方町を目指そうか。3台の車は10号線から326号へと渡り、一路西進するのであった。
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(04.06.06)

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