このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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カフェがある清酒蔵
午後3時頃、浜嶋酒造へと到着。蔵には『鷹来屋』という看板が掛かっているから、こっちに統一しようか。まず、女将さんが出てこられて、2階へと通された。
2階はギャラリーとなっているようである。ちょうど6月11日から開催される合同展『初夏の風展』の展示が少し早いけれども行われていた。陶器、タペストリー、草木染め等々、見ていて楽しい。大佐先生もお茶碗等を手に取り、真剣に見つめられている。一番の歓声を上げられたのがマツユカ女史。やはり女性である。このような手づくりの物に対して共感を覚えるのであろう。
右は記名する女史。まず大佐先生が男らしい字でガツンと書かれ、それにカネゴン隊員が流麗な字で続く。で、私と女史の順番で書いたわけだが、私が書くのは冗談抜きで「ミミズがはったような」字なのである。女史のいかにも女性らしいという字とカネゴン隊員の達筆に挟まれ、とても肩身が狭かった。
しみじみ鑑賞なされる女史を除いて、落ち着かない男3人がウロチョロしていると、大将と女将さんが上がってきた。
大将。酒造りが終わるこの時期になると決まって風邪をひかれるそうで、昨日も39度まで熱が上がり、床に伏せっていたという。たしかにお顔が少し赤いようだ。しかしながら、非常にはっきりと丁寧に話される。その横でほほえまれる女将さんも、これまた神経の細やかな方で、いっぺんにファンになってしまったではないか。
ここじゃ何ですからと下の階のカフェにてイントロダクションを聞く。鷹来屋こと浜嶋酒造。創業は明治22年。粕取り焼酎はずっと作り続けており、年間製造本数は25度のみで1升瓶換算500本。流通範囲は蔵周辺を中心に大野町辺りまでと極めて局地的という。地元に愛飲者(甲類焼酎流入以前の年代になるが。したがって60代より上の世代)も多いことから今後も製造を続けるという、粕取り偏愛者にとっては嬉しい回答があった。
大佐先生は前回、この蔵の訪問の際に大将にお会いすることができなかったので、ここぞとばかりに質問を浴びせる。
大佐先生:「粕取りの・・・原料です・・・が、・・・どのような・・・ものを・・・。」
大将:「水を多く含む中吟以上のものを使うようにしています。一般酒の酒粕
は使いません。こちらは粕漬け用に回してしまいますから。粕の形態
によって使い分けている感じですね。」
大佐先生:「飲まれ・・・方です・・・けど。」
大将:「やはり裏作の麦が終わって、田植えが始まるこれからの季節でしょ
うか。みなさん飲まれるのは。あと、真夏の暑気払いとして昔は飲ま
れていましたね。」
その他、大佐先生は原料の酒米のことや日本酒の銘柄のことなど質問を連発されていた。あまりの数の質問の数に、大佐先生の実力(←忘れていた)をかいま見てしまった。米については土壌とのかねあいでかなり面白いようだ。ここ緒方町より標高の高い竹田では火山灰性のさらさらした土壌。これに対して緒方町は粘土質の土壌と性質が異なっており、それぞれでできる米の味についてもかなり差が出るそうである。ちなみに緒方町で生産される米はかなりの実力を備えているそうだ。宮崎平野の超早場米コシヒカリなんぞは全く太刀打ちできないだろう。その道の専門家のカネゴン隊員の話を聞きながら何気なく思ってしまった(ちなみにこのお米、原尻の滝のそばにある売店で売っていました)。
この緒方町においても粕取り焼酎はといえば、筑前と同様の飲まれ方をされているようだ。さなぶり焼酎、そして砂糖or蜂蜜を入れての暑気払い・・・。

粕取り焼酎の蒸留風景を写したネガを見せていただいた。大将が言う。
「今焼酎を作っている大分の蔵も、昔はうちと同じやり方で粕取り焼酎を作りよったんですけどね。」
そうして、蔵の作業場を案内していただいた。
蔵の中庭はちょっとした広場になっている。これまで比翼鶴や鳴滝など大きな蔵しかお伺いしたことがないため、限られた空間を目一杯使っているという感じだ。
地面に埋め込まれた釜の前まできて大将が立ち止まった。
「これが粕取りの蒸留をした場所です。ちょっと待ってくださいね。蒸籠を取ってきますから。」
とおっしゃって、倉庫の方へと走って行かれた。辺りを見回すが、本当に中庭といった感じ。以前、酒のりゅうの大将が言っていた「庭で蒸留の最中やった。」とは本当だったのである。しかもそれを聞いて既にない光景と思っていたのだが、黒く光った釜と共に目の前にある。饒舌にも現実が語りかけてくる。
蒸留後は25度に無濾過で和水するそうだ。もし粕取りを濾過しよう物なら、カネゴン隊員が奥様に「家に持ち込み禁止」と宣言されてしまったその強烈な香りが付いてしまって他に使えなくなるという。それにわずか年500本足らずの製造量。別に濾過器を用意するのももったいないと笑われていた。
せっかくなので奥の方も見せていただく。蔵の壁は土蔵からコンクリへと変わってしまったそうだが、壁には碍子が打ってあって、あちこちに配線が張られていた。
もろみを絞る“舟”、タンク・・・。順を追って説明を受ける。
大佐先生はやっぱりマニアックな質問を浴びせ続けていた。
P箱に貼ってあった出荷先にまで大佐先生の質問が及んだ頃、コンクリの床になにやら彫ってあるのに気づいた。『二升五合』は分かった。“益々繁盛”、つまり商売繁盛の願掛け。その下には2つの『酒』という文字に挟まれて『春・夏・冬』の文字。おそれおおくも大佐先生の口を遮らせていただいて、「何でですか?」と聞いてみた。
大将:「『二升五合』は『ますますはんじょう』と読んで、『春・夏・冬』は
そのままですよ。秋という季節が無い。『酒』、『秋が無い』、『酒、
飽きない』。わかりました?」
聞けば、大将が子供の頃にはコンクリの床になっていて既にあったという。昔の職人さんが彫ったのではということであった。
大将が小走りで持ってこられたのが蒸籠。これもかなりの年季物だ。画像右奥のように穴が開いていたりと若干痛んではいる。しかし現役。お目にかかれただけ幸運という物である。竹の目が結構広いが、通風性を確保するためだとか。蒸留方法も酒粕とかなりの籾殻を混ぜて、行うらしい。
先ほどの中庭に戻って、仕込み水を飲ませていただく。口当たりが良く、これが非常に甘い。軟水だそうだ。
カネゴン隊員が車へダッシュで戻り、空のペットボトルを持ってきた。2リットル持ち帰りである。(実はこの後、みんな1升瓶に詰めていただいてお土産にいただいたのであった。)
再びカフェへ。お待ちかねの試飲タイムである。大将が粕取り焼酎『富源』及び、発泡タイプの玄米酒を持ってきてくださった。女将さんがそれに合わせてちょっとしたつまみを用意してくれる。ドライバー陣には少し、車の運転をしない女史にはいっぱい注がれた。
まず、『富源』。瓶の内容液は白濁である。無濾過ということもあり、表面には油も浮く。香りから、かなりがつんと来る味わいと思ったのだが、非常に優しい。甘さが柔らかいのである。高濃度の原酒ならばどんな感じであっただろうか。全量和水しての製品化が非常に惜しい。
そして玄米酒であるが、これは大佐先生のリクエストである。私自身、あまり日本酒の事が分からないのだが、これも美味いと思ったぞ。スッと入る方である。・・・ううっ。大佐の車に便乗すれば良かった。
産地ごとの酒造適合米の質や、鷹来屋のどの銘柄にどんな米が使われているのかということについて大将と大佐先生、カネゴン隊員が話しこまれている。女将さんの出してくれたつまみも非常に美味い。蕗、稚鮎の佃煮、キュウリともろみみそ。その中、美味いと思ったのがムカゴをガーリックバターでソテーした物で、粕取りの風味と非常に良くあった。くそ、一口しか飲めないのが辛すぎる・・・。
それぞれ思いの品をお土産に購入する。大佐先生は『富源』となにやら清酒を。カネゴン隊員は奥様のために清酒を購入されていたようだ。私はといえば大物を持って帰ると怒られるのが明白なので同蔵の麦焼酎『さぶろう』の5合を買うこととする(爆)。
大佐先生は車の運転があるにもかかわらず、吟醸酒ばかり試飲しようとなさっていた。そのたびにマツユカ女史の鋭いつっこみが入り、遂に断念されたようだ。
それにしても『富源』のこの白濁をみよ。何も知らない人間がこれを見たらびっくりするはずである。粕取り焼酎をいくつか飲んでいる私たちですらビックリするくらいであるから。
ちなみに、右側は『原尻の滝』という麦焼酎。内容は『さぶろう』と同じ。
大分県の20度焼酎の理由についても話が及んだが、密造酒対策であった宮崎のように歴史背景がはっきりとしてはいないようである。おそらく、農村地帯で急激に飲まれるようになった甲類焼酎との関わりがあるのではとのことだった。
聞けば、後にも別の見学者が控えていると言うことで、ここら辺でお暇することにした。
せっかくなので、近くにある“原尻の滝”まで足をのばしてみた。しかし、田植え直前で田へ引く水の需要が高い季節。あまり水量は多くない。『東洋のナイアガラ』と称されるこの瀑布であるが、やはり真夏の台風通過後などに来るともの凄いことになっているだろう。滝上から見下ろしてみたが、高所恐怖症の人間がやることではない。精神的に悪い。
滝も見たことだし、ここで解散と言うことになった。カネゴン隊員は一度熊本の方まで出られるようであったが、日向マターリ隊は国道326号を使って一気に県境越えをはかることとする。来年は蒸留に合わせて再訪しましょうと誓い、それぞれの車に乗り込んだのであった。
帰路。はじめは普通の運転で大佐先生の車に付いていくことができたのだけれども、326号線へ入る交差点で私の車が信号に引っかかってしまった。大佐先生と女史の2人を乗せた車は峠へと消えていく・・・。私は寂しくゆっくりと帰ることにしたのである。
大将がおっしゃっていたが、現在大分県内で昔ながらの製法で粕取り焼酎を造っているのは3蔵だけだという。正調粕取り焼酎は風前の灯火であることは関心の高まりつつある今でも変わりないようだ。
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