このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
お盆で帰省した折、妻の祖母の家へ仏壇に線香をあげに行った時のことだ。ふと、もと牛舎だった倉庫の柱に打たれた釘に青いビニールの袋がかかっていることに気づいた。
これまで何度も顔を出していた義理の祖母の家であったが、今までこの袋の存在に気づくことがなかった。単に目に入っていなかったのか、それとも親戚の誰かが倉庫をあさくった時に出てきたのか。
盆の刺すような日差しの中、どうしてもその袋の青色が気になった私はそれを引っ張り出してみることとした。串間の本城地区で愛飲されていた焼酎の袋だった。
袋にはプラグやらレンチやら長〜い釘やらがたくさん入っていた。以前、東米良で“
極楽
”の袋がひっそりと存在している光景を目撃したが、ビニールという頑丈な生地が幸いしてだろうか。焼酎瓶を入れるという本来の目的からは大きく離れた“道具入れ”として銘柄消滅から久しく『現役』として活躍しているようだった。
長らく野外に置かれていただろうから、全体的にほこりをかぶり、袋の中も錆で赤褐色に汚れていた。釘のようなとがったものが入っていたからだろうか。袋の下部には直径3cmほどの穴が開いている。
この銘柄の蔵元は、昭和60年に市内の蔵元と共に“
寿海酒造協業組合
”を立ち上げたことから当然ながら現在は焼酎を造っていない。ただ、本城地区でもとの屋号そのまま(
“国光焼酎”
)で酒販業を営まれている。地元串間市で協業化により消えた銘柄を探すことは難しくなっている。そのような状況の中、貴重な“資料”がひょっこり出てきたことに驚いたのだった。ともかくこの貴重な“資料”を頂けないものかと申し入れ、ゴーサインが出るやいなや水でほこりを洗い流した。
日頃、「焼酎焼酎・・・。」とぶつぶつ言っているから、焼酎の神様が気を利かせてくださったのだろうか。はたまた線香をあげにきた行為に対してのご褒美なのだろうか。記憶の彼方に消え去りつつある古い銘柄の“名残”が今、私の手元にある。
串間の本城地区の過去からの手紙・・・である。
(05.08.19)
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