このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旭
万
年
    (有)渡邊酒造場
  宮崎県宮崎郡田野町

   (2003.12.20)
25°
渡邊酒造場 にも触れた通り田野駅のすぐ近くにあって、蔵のすぐそばを築堤が田野駅へと続いている。蔵にお伺いしている時に日豊本線を行く列車のジョイント音が聞こえてくる。

1970年代、南国の蒸気機関車を追って宮崎の地で青春時代を過ごされた方も多いでしょう。日向沓掛という旅情をかき立てられる小さな駅、田野を出て青井岳へと上がっていく鉄橋の辺り。鰐塚山のパノラマが迫るそのような風景の中を小工式デフ(=門鉄デフ)で美しく着飾ったC55C57といった南国のパシフィックがリズミカルなドラフトを残して走り去って行く。蒸気の最後の楽園という言葉がぴったりな日豊本線。

当時の日豊本線では宮崎機関区に東北から移ってきたハドソン“C61”がいた。日本で最後まで残っていた5輌のこの大型機は他の蒸機に混じって客レや貨物列車を引いていたのである(現在、宮崎機関区に在籍していたC61のうち2号機が京都の梅小路に動態保存されている。)。しかしながら線路規格の関係でこのC61は宮崎以北に限っての運行。宮崎以南の日豊本線では主に宮崎区や鹿児島、吉松区の上記C57やC55が輸送の主役を担っていたのである。九州の蒸気機関車は総じて手入れが行き届いていた。特に南九州の所属機は群を抜いており、仕業を終え戻ってきた機関車を庫内雑務手がワラを持って出迎えていた。蒸気機関車が走った末期のころの写真を見ると、C55やC57などはみんな鈍く光っている。そしてC57の細いボイラーを引き立てるように小工式デフがつくものだから、『貴婦人』という愛称よろしくたくさんの汽車キチを線路端に集めたのであった。

また汽車の話になってしまったが、焼酎の話に戻そうか。


初めてこの“
旭 万年”に出会ったときは本当に衝撃的であった。そのとき購入したのは20度の物なのだが、本当にビックリしたのである。3年ほど前になるが、まだ“兼八”を飲んだことがない頃。麦焼酎といえば“いいちこ”や“二階堂”のような物と思っていた所にこの風味だ。一発で虜になってしまったのだった

さてさて味であるが、風味が同系の“兼八”と比較すると柔らかさが表に立ってくると思う。口に含んでから「ぶわーっ」と広がる甘さとふくらみ。それだけでも十分と言う方もおられるかも知れないが、この焼酎の醍醐味は飲み込んでから鼻腔へと抜けていく麦の香りだと勝手に思いこんでいるのである。お湯、ロック、生と飲み方を選ばない柔軟性も魅力。

いやぁ、いいっすね。

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