このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
(資)都乃泉 宮崎県児湯郡川南町
(2004.02.20)
真っ赤な杯が印象的な『
都の泉
』。焼酎マニアの間では、マイルド志向の黒ラベルと区別して、通称“
大杯
”と言われている。ペットボトルもせっかく買ったので友情出演してもらった。
川南町はサツマイモの栽培北限ということで雑誌などで紹介されてはいるけれども、地元の人間としてはあまり意識していなかったりする。蔵元自体は川南の一番北の端。だが川南の中心部では、“霧島”と一緒になって町の看板を飾っている。聞いた話によると、昭和40年代までは黒木本店の“
橘
”すら押しのけて児湯郡でもっとも飲まれていた焼酎らしい。
川南町は日本三大開拓地の一つに数えられ、古くは藩政の頃から入植者を受け入れている。特に戦後の入植は全国におよび、国道10号線の高鍋町との町境付近に「日本の合衆国」という看板が立つくらいである。そのためか農業の町というイメージが強い。茶やかぼちゃ、果樹・・・。特に畜産では養牛だけでなく、系統、商系の養豚、児湯食鳥を筆頭とした養鶏等々、我が国を代表する集積地帯だ。
尾鈴山からなだらかに続く段丘の風景はとにかく広く、古くは島津・大友の決戦の場となっただけでなく、太平洋戦争の頃には南方戦線での奇襲作戦に備えて空挺落下傘部隊が置かれている。供養塔や部隊跡の給水塔など歴史遺構が残っているので、川南古墳群などと共に回ってみてはどうだろうか。
腹が立つのであるが、
川南町で飲まれる焼酎は圧倒的に“霧島”
なのだ。これからの若い者は「
都の泉はくせーがね。
」と飲まない。昔からの飲み手ですら同じ感じだ。いちばんいけないと思うのは消費推進すべき川南町やJA尾鈴で、農協の生産部会の総会などに『寸志』として持っていくは“霧島”である場合が多い(この前の集まりでは、川南町は“都の泉”を持ってきていたなぁ・・・)。せっかく地元に蔵元があるのだ。もうちょっと大切にしても良いじゃないの!
「くせー!!」と言われるだけあって、香りは高い方だ。宮崎の若い連中の間で一般的な飲み方“ロック”にはあまり向かないかも知れないが、お湯割りではいける方。芋の風味は具合良く口の中で広がるのだが、思ったより余韻が続かない気がする。どちらかというと安心して飲める部類に入るので、いっぺん試してみるといいだろう。
サツマイモの一大産地である児湯郡の銘柄の一つとして踏ん張って欲しいのだが、全国的にだけでなく地元でも支持がいまいちであるのはさびしいところだ。
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