このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
20°
(資)黒木本店 宮崎県児湯郡高鍋町
(2004.12.21)
高鍋町
といえば、かつては高鍋藩三万石の城下町として発展した宮崎県児湯郡の中心地である。
秋月10代に渡る歴史の中で第7代の種茂公は
名君として名高く
、
産業振興、福祉福祉の充実と精力的に藩政
改革を断行し、
1778年に明倫堂(藩校)を開設。後々“日本の孤児の父”石井十次など数々の人材を輩出する下地を作ったと言っても過言ではない。また、この種茂公の弟が“米沢藩中興の名君”として知られる上杉鷹山公であり、それが縁となって高鍋町と米沢市は姉妹都市として今も交流が続いている。
高鍋町には焼酎蔵が2場ある。国道10号線沿いに銀色のタンクがそびえているのを御覧になった方も多いと思われるが、一つめがその“
宝酒造 高鍋工場
”。「焼酎蔵」というよりは「工場」といった方がよいかも知れない。そしてもう1場が
黒木本店
だ。蔵元は高鍋町の中心部に南北に伸びる商店街の中にあり、古い木造商店が続く風景に溶け込んでいる。とはいえ、敷地面積はビックリするほど広い。
黒木本店といえば樽貯蔵した麦焼酎“百年の孤独”というイメージが強すぎるのであるが、主に地元向けにだしている芋焼酎がこの“
橘(たちばな)
”である。児湯郡でも高鍋や木城町を中心に地域焼酎として根付いており、色あせたもの、まだ新しいものと状態は様々であるが所々に“
橘
”のロゴが入った交通安全の看板をあちこちで見かける。
このように地元で愛されているように思う“
橘(たちばな)
”であるが、今では木城町だけでなく高鍋町でもあまり出ないという話を聞く。その理由は『
臭い
』からだという。地元の蔵の銘柄から“
霧島
”、“
黒霧島
”に生活の酒が切り替わっていったことが宮崎焼酎の歴史なのであるが、木城町は既に“
霧島
”一色となってしまっているようだ。高鍋町内の飲み屋でもキープ棚を見るとこの2銘柄の割合が高い。もっとも地元貢献度が高い“
百年の孤独
”がキープされる例はほとんど無く、飾りと化している例がいくつかあった。
そういえば、先日、職場の管内で県枝肉共例会の反省会があったが、その際に管内の関係機関から持ち寄られる焼酎の中に“
橘(たちばな)
”は高鍋町の分を入れてわずか6本であった。高鍋に事務所を構えているところですら“霧島”なのだから、少し寂しい思いをしたのだった。
私も実際に20度のものを買い求めて飲んでみたのだが、「臭いって言うがどこが?」と首をかしげてしまった。香りは大人しく、芋臭いといっても甘い香りは気にならない。生で口に含んだときにはなめらかであり、飲み込んだ後に焦げ臭いような甘さが広がる。案外、こういう飲み口で地元の人が敬遠するのかも知れない。高鍋町でもあまり飲まれなくなっている“
橘(たちばな)
”ではあるが、日常酒としては普通に美味いと思われ、私はお湯割りでばかり飲んでいました。
今の世代は“
霧島
”で育っているという
話
を木城町の酒屋で聞いたことがあるが、児湯の焼酎としてだけでなく、地元産の甘藷を使った芋焼酎という点からも今後も頑張って欲しい。5年ほど前に高鍋町でウミガメの産卵地を抱える自治体が集まった“
ウミガメサミット
”が開催されたことがあったが、これに合わせてウミガメラベルの“
橘(たちばな)
”が出たことがある(買っておけば良かった)。なお、度数は他に25度もあり。
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