このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

おいらは孤独
(2003.01.31)
製造元:(有)渡邊酒造場 宮崎県宮崎郡田野町

発売元:(有)岩切酒造 宮崎県宮崎郡佐土原町
宮崎市のすぐ北側に位置するのが宮崎郡佐土原町。

神代には神武天皇の父親である鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)が宮殿を置いたと伝えられ、戦国期には島津氏が伊東氏を木崎原の戦いで破った以降、島津の支配に入った佐土原城があったりと歴史の深い土地なのである。

でも、今ではチーマーのたまり場として地元でも有名なスポットとなった“久峰運動公園”くらいしか・・・。あ、そういえば「鯨ようかん」なんて言うのがあったなぁ・・・(島津五代藩主惟久が幼少の頃、生母が鯨のように大きく力強くなって欲しいと願いを込めて作らせたのが由来とか。米の粉を練って伸ばし、さらにあんこではさんで蒸したお菓子です)。

発売元である“
岩切酒造”は国道10号と山崎街道(宮崎市から今は名前の変わった旧フェニックスリゾートの近くをかすめて一ツ瀬川の河岸に抜ける)に挟まれるようにしてある。社名が示すように、かつては地元に焼酎を出していたと推測。だが、金羊社のカタログ等を見ても「岩切酒造」の名前はない。

ラベルのデザインは淡い茶色に金色の帯。銘柄銘がビシャッとかかれ、『岩切酒造之醸』の判の朱色が添えられている。芋製で、宮崎焼酎の特徴であるアルコール度数20度。

表記に目を移していくと、製造元はあの
旭 萬年 の“渡邊酒造場”。つまりは“岩切酒造”の委託製造(PB)なんですね。開封していないので何とも言えないが、中身は「萬年」と一緒だと思う。開封すれば、きっと狭い口より何とも言えない薫りが立ち上るだろう。

あと、面白いことに内容量の表記『1,800ml』の上から『900ml』の判が押されており、1升瓶の存在を示している。販売価格は5合瓶で800円、1升瓶で1,400円台であろうか。

それにしても、なんと思い切った名前の銘柄であろうか。PBにそんな名前を付けなければならない状況に発売元が直面していたのであろうか。そんな状況だが、「頑張っていこう。」と自らを励ます意味で名付けた・・・。開き直りとか・・・(うーん、それは100%無いか・・・)。とにかく色々なことを想像してしまうラベルなんですね。

この銘柄は実は頂き物である。その方から聞いたところ、既に発売元は消え、この焼酎だけが“渡辺酒造場”に1本だけ残っていたそうだ。ラベルなどの具合からごく最近まで販売されていた事が伺われるが、詰め口を示す表示は見あたらなかった。

そんなエピソードを聞くと、本当に孤独な焼酎だったんですねと思ってしまう。
(追補)
先日、佐土原に行く機会があった。町の中心部を抜ける国道10号線を宮崎市内へ向かって車を走らせていたのだが、ふと左へ目へやると「岩切酒店 この先を左折」と書かれている看板が目に入る。実は岩切酒店、タウンページにもしっかり『“おいらは孤独 ”岩切酒造」』と広告を載せており、実はつぶれていないんじゃ・・・と気になっていたのである。

早速、看板の指示に従い左折。日豊本線をくぐって路地へと入っていった右カーブの突き当たりにお店はあった。
同店のHPで見た画像そのままの、コンビニのような外観。とにかく、店の中へ入った。

中は普通のディス屋。店の棚には“おいらは孤独”の瓶が並んでおり、1升瓶の入ったP箱が積まれている。店のおじさんに聞いてみたが、まだ販売は続いているとのことだった。というわけで、絶版というわけではなかったんですね。

棚の一番上の段には、この蔵のかつての銘柄の瓶が飾ってあり、風化したラベルをさらしていた(“白梅”だったと思う。)。聞けばこれが最後の1本らしく、もちろん非売品であった。

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