このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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西都市の銀鏡(しろみ)地区。かつては東米良村を構成する集落の一つであり、昭和37年(1962年)に三財村と共に西都市と合併している。国道219号線から県道39号線を西都市中心部から40km。銀鏡ダムの水は清く、山の緑が背後に迫ってくる自然ばっかりの美しい集落だ。人口は86戸212人。同地区にある小中学校の生徒も合わせて30名と過疎化甚だしい。
椎茸やゆず、ホオズキなどを特産とする同地区だが、雪降山やオサレ山、烏帽子岳等の1000m級の山々を抱いているため、日も短い。そのような山間の村であるからこそ、『神話の昔、イワナガヒメの投げた鏡が龍房山の頂にひっかかり、辺り一帯を白々と照らし続けた』という伝承が受け継がれていると想像され、そのすそ野には龍房山(=鏡)そのものを御神体として祀る“銀鏡神社”がある。
この“銀鏡神社”、毎年12月12日〜16日には九州山地に点在する集落と同じように夜神楽が催される。しかしながら“天照大神の岩戸隠れ”を主題に置く高千穂などの神楽とはかなり違っているのである。銀鏡神社の神楽“銀鏡神楽”は狩猟を生業としてきた文化のにおいが猪の脂の如くプンプンしている。すなわち、御神格として猪の頭“オニエ”が供えられ、特に32番では猪を獲る作法がコミカルに演じられる“ししとぎり”が舞われる。他にも、周囲の地区の神様が“御降(飛び入り参加)”するなど興味深い部分はいくつもある。
県道沿い、銀鏡神社の近くに1件の酒屋がある。食料品や日用雑貨も扱っているので、酒屋と言うよりは商店といった趣だ。
この酒屋に塗装の剥げた看板が掛かっている。車で通りすぎる時には色合いから“極楽”と思っていたのだが、やっとゆっくり訪問する機会ができたので観察してみた。
“宮崎縣 児玉酒造本店吟醸 西都市”とあった。店に入って聞いてみたが、既に廃業されて久しい蔵元の銘柄だとか。最終的には霧島酒造の傘下になったというから以前『
西都農業協同組合の「鏡」
』で紹介した“銀嶺酒造”のことだ。 看板を観察してみよう。“登録商標”と“銀嶺”という銘柄名がかろうじて読める。それを囲うように緑の帯。「BEST SHOCHU」の表記も誇らしげだ。銘柄名は西都市から見上げる米良の山々の“冬景色”に因んでいるのであろう。暖冬と言われて久しいが、市房山を始め寒い日の朝は真っ白な雪化粧だ。
店の人の話ではこの銀鏡地区で飲まれるのは、今も昔も圧倒的に芋焼酎なのだという。かつてはこの“銀嶺”や同蔵(霧島酒造西都工場でも製造していた。)の“故郷”、そして“霧島”。店の棚にも一部、球磨の米焼酎“極楽”が並んでいたが、棚の大部分は圧倒的に“霧島”であった。一ツ瀬ダムよりも若干上流の国道沿いにある酒屋でも扱う銘柄は“霧島”が多いとのことであるから、山間であっても芋焼酎文化圏の西都市に近い所では生活の酒を指すのはやはり芋焼酎のようだ。
この酒屋から若干上流に県道を上ったところに廃業したらしい酒屋が一件ある。そこにも看板が掛かっていたが、未だ現役の銘柄であるかのように白色の眩しいものであった。
近所の飼い犬だろうか。1匹の雌犬が大きな乳房をゆっさゆさと揺らして下流の方向へ消えていったが、その寂しげな姿は今は無くなった児玉酒造への惜別だけでなく、後は寂れていくだけの地域の現状を語っているかのようであった。
この文章は、かつて西都市の焼酎はこのような山間部まで流通していたということを記録するものであり(そげん大げさなものじゃなかっちゃけどね)、児玉酒造(銀嶺酒造、霧島酒造西都工場)という西都焼酎の歴史を記す物として公開したい。
(2004.02.12)
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