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「鷹詣で2005年5月」
昨年9月末に生まれた長男も無事に初節句を迎えることが出来る。そのような2005年の超巨大連休であった。初節句の食事会は親戚同士の都合もあって5月3日に開催することとなる。場所は鹿児島。その準備のために連休の前半は例年のように何処かに旅行する事もなかった。

4月13日。帰宅後、自分の掲示板をチェックしていると、“薩摩精酎組”電脳参謀の Aptiva野郎さん(以下あぷさん) より書き込みがあったのだ。

あぷさん:「ど〜もです。goiちゃん・・
     若いっていうかマターリ隊は、よかですね・・・・・
     GWにもし時間があえば・・鷹でぜひ〜」

そういえば、長いこと“ ”にもお伺いしていない。旨い料理も食っていない。何よりただでさえGWはもてあまし気味だ。これはお受けせねば!!!!

それからもたもたと日程調整をかけ、2日も勝ち誇ったように年休を取得し、鹿児島入りに備えたのであった。

というわけで、5月2日を迎える・・・。
宮崎からの頼もしい助っ人として 石原けんじ大佐 から事前に参加の手が挙がったのだが、当日になって残念ながらどうしても仕事の都合が付かないと言う連絡があった。・・・あらら。

だが、「鹿児島には一応向かう!!行けたら“鷹”にも!!」とのこと。

その求道心には目頭が熱くなった。
毎年のことだが、GWは天気が悪い。雨が降る中、国道220号を南下する。途中、南郷町榎原の柿の木茶屋でうどん+カツ丼を食べたが、はっきり言って量が多かった。そのような後悔の念も串間の妻の実家で車を降ろした家族と共に置き去りにしたかったけれども、そうも行かない・・・。結局、「げふっ・・・。」となりながら志布志町から大隅、岩川と抜け、国道10号線から国分市に入った。

腹の具合は回復しつつあったが、天気の方は相変わらず。ずっと雨が降り続いていた。
・・・のん方の約束は夕方6時からであった。手みやげにと当てにしていた実家の“伊佐美”の在庫は底を突いていて、手ぶらであることが悔やまれた・・・。本当にうかつすぎる。

とにかく、遅れては何だからと鹿児島市役所まで父に送ってもらい、“鷹”のある名山町へと侵入した。毎度、この味のある入り組んだ空間を彷徨うこととなるのだが、大型連休まっただ中(但し休みの中日)ということもあって多くの店が閉まっている。寄り道することもなく、目的地に到達した。

あぷさんは店の最奥の座敷で待っていらした。カウンターの内側ではあぷさんのお母様が鍋を前に奮闘中だ。

早速席に着いてご挨拶を済ませ、焼酎のお湯割りで乾杯となった。あぷさんは「ビールは?」と勧めてくださったが、やはりここは焼酎で・・・とマニア宜しくの行為となる。コップの半分ほどまでポットのお湯が注がれ、その中にあぷさんが用意してくださった八木合名さんの“ 八千代伝 ”が落とされていく。

飲める風味の焼酎だったが、ちょっと私の好みとははずれる。・・・まあ、そんなことは良いか・・・と思いながら、カリカリに衣が揚がった鶏の唐揚げ、鯵の南蛮漬け、煮豚に波状攻撃を加えていった。・・・どれもうめぇ!!
毎度楽しみにしているポテトサラダも絶品で、ほくほくのジャガイモのかたまりをほおばると至福の一言である。なお、今回一番はまったのがソラマメの塩ゆでであった。厚い皮をむいて口に放り込むと独特の苦み、甘みに耐えられない・・・。

もだえ苦しむ私をあぷさんは、 田崎さん の“千夜の夢”でさらなる爆撃を加えていく。

それら焼酎の味わいがちょっとくどめの鹿児島の料理の味付けにマッチするのですね。

鰹のたたきを甘い醤油につけて口に含み、飲み込むと共に焼酎を流し込む・・・。

これはヤッヴァイ!!ヤヴァ過ぎる・・・。だから私は太るのだろうか・・・。
その他、極めて男性的に健康な話題など非常に盛り上がった。

私の悪い癖で酔っぱらうと電話をしたくなる癖があるのだが、申し訳ないと思いながらも国内を家族旅行中のカネゴン隊員であるとか、 こばやしさん などに迷惑電話をかけて行く。あぷさんにしても 精酎組組長 に電話特攻をかけるものだから、だんだんと事態の収拾が付かなくなってきた。

あぷさんが隣の公衆トイレに行かれている間、お店の中を観察する。私たちが飲み始めてすぐに別のお客さんが入ってきていた。それが1人増え2人増えと今は3人の方が歓談というか山芋掘りの最中であった・・・。何の話であぁまでテンションが高まるのだろうか。

話の中身に聞き耳を立てているとあぷさんが戻られる。
これもまた絶品といえる鯛汁を食べながら、あぷさんと雑談に興ずる。

あぷさん:「宮崎は若手が頑張っているからうらやましぃ・・・。
       精酎組は若手が育たなくてねぇ・・・。」


goida:「そげなことはないですよ。マターリ隊なんて自分が勝手に
     言っているだけで、メインの活動は 探検隊 の二人( 大佐先生
     と私)がうだうだやっているだけで、ちゃんとした組織もないで
     すし。」


あぷさん:「それでもいいよ。職場の直属の部下に焼酎が好きだって
       言うのがいるんだけど、『焼酎は飲む?』って聞いたらなん
       て返ってきたと思う?『大好きですよ。ロックとか水割りとか
       サイコーっすね!!」だって。『お湯割りは?』って聞き返し
       たら、『駄目駄目。飲めないっすよ!!』と答えるんだよ。悲
       しくなったね。」

goida:「宮崎でも若い世代はそんな感じですよ。季節で温冷を切り替え
     たりしますが、若い人ほどロックとか飲んでますね。」

あぷさん:「それはわかるけど、精酎組の 組長 もみんな、危機感を持って
       いるとよね。だから、飲み手の後継が育つ宮崎がうらやましい
       の。」


宮崎にいると忘れがちになるが、南九州の焼酎の飲み方といえば元来お湯割りとか燗であった。言われてみると確かに若い世代というのは『飲みやすい』というスタイルに流れている。鹿児島の焼酎おんじょ達が危機感を覚えるのは当然なのだろうか。

都会の持つ焼酎生産&消費県のイメージと地元民の嗜好のギャップ。正しく理解されているのかとてもに気になるところだ。
鹿児島では今の焼酎バブルを受けて、銀行が焼酎蔵に対して貸し渋りを全くしないそうだ。それによって造りを再開した蔵がいくつかあるらしいが、急激な施設投資をした時に将来的な見通しとかは立てているのだろうか。逆にそれが重荷となり経営を圧迫したりしないのだろうか・・・。そのようなことを思うと、今の焼酎ブームは適度な塩梅でもっともっと続いて欲しいと私は思ってしまう。
午後10時を回り、大佐先生と連絡に店を出る旨伝えようと連絡を取ったが「電波の入っていない地域に・・・」と携帯電話のスピーカーの向こう側では案内が繰り返すだけであった。

“鷹”を出ると雨は上がっていて、狭い路地に七輪の上で鍋を温めてとある集団が盛り上がっていた。なんと、その中のお一人があぷさんの同級生だそうで、その鍋を1杯御馳走になる。ぴりりと胡椒(=唐辛子)が聞いた旨い鍋だった。

5分位話した後、鹿児島駅から坂元線の方向へ向かって歩き出した。その間、何を話したのだか記憶がぶっ飛んでしまっているが、“鷹”での雑談の延長上の話しであったことは確かである。

日豊本線の踏み切りを渡ったところにある酒屋さんへ入り、棚を見たりしたのだが、大将の話では今黒糖の“れんと”が売れ筋なのだそうだ。
そのまま竪馬場辺りまで歩いただろうか。そこでタクシーを拾い、坂元線を昇っていった。タクシーの中での会話・・・。

あぷさん:「運転手さんは焼酎は好きですかぁ〜?」

運転手:「好きですよ。」

あぷさん:「どんな銘柄をよく飲まれますぅ?」

運転手:「“島美人”とか“海童”、“黒伊佐錦”とかが好きですね。
      ロックや水割り、お茶割りが好きですよ。」

あぷさん:「・・・そうですかぁ。白波とか桜島はどうですかぁ?」

運転手:「たまに飲むくらいですね。ちょっとにおいがきついから
      ですねぇ。」

・・・これが地元の実態であろうか。都会と田舎の嗜好のギャップ・・・ねぇ。


あ、大佐ですが、後日電話を入れてみたところ、宿のある谷山までは来ることが出来たそうだ。ただ、そこで疲れのあまりダウンをしてしまい、散々の鹿児島遠征であったそうだ。お疲れさまでした。

最後になりましたが、あぷさん。本当にお世話になりました。美味い酒、料理大満足でありました。次回は是非とも宮崎へお越し下さい。お待ちいたしております!
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(05.05.08)

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