このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 夜が明けても、まだ夢の続きを見ていたのだろうか?

「火の見やぐら」

これは母親から聞いた話です。私は記憶にありません。
私が2歳か3歳かの時の事です。私の生家(阿賀北8丁目の鶴乃湯)から少し離れた所に「火の見やぐら」がありました。高さは10メートルくらいで、鉄製のタワーの外側にはしごが付いた簡単な構造です。

 ある日の早朝、私がどこにも見当たらない事に気付いた母は、家の中をいくら捜してもいないので、家の外にまで出て捜し、とうとう近所を私の名前を呼びながら歩きまわったそうです。すると、どこからともなく「お母ちゃん…」という声が聞こえてきます。母は私の声に驚き、周りを見渡しても誰もいないので、更に大きな声で「ヒデクン、どこおるん?」と呼びかけます。「お母ちゃん…」と、またも私の声が聞こえてきます。声はすれども姿は見えない状況に、母はかなり混乱してしまったそうです。そして母が見たものは…。

 私は「火の見やぐら」のてっぺんの辺りにいました。寝巻き姿に下駄履きのままで、はしごに乗っかかっていたそうです。そんな私を見つけて腰を抜かさんばかりに驚いた母は、とりもなおさず降りてくるようにと声をかけ、こうして私は「火の見やぐら」から降り始めたようです。しかし、はしごの一段一段の間隔は幼児の足にはもどかしく、下で母はハラハラしながら見守っていたそうです。転落に備えた心構えを決するとともに、私に向かっては猫なで声で「ゆっくりと、ゆっくりと降りてくるんよ…」と話し続けたそうです。やがて、私が手の届きそうな所まで降りてきた時には、にこやかな表情から怒りがこみ上げてきたのでしょう…。私をわしづかみにしてとっつかまえるやいなや、「どして、こがなとこ登るんよ!」「びっくりさして、もう!」…罵声をさんざん浴びせられ続けられました。

 この話は子供の頃からまた私が成人してからも、よく母から聞かされていました。この話をする時は、いつも楽しそうに笑いながら、また思い出をかみしめるように話していたように思います。遠くを眺めて話しているような姿がとても印象に残っています。その母も…もう逝ってしまいました。
 

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