このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

近鉄・最近の30年

ハンドルネーム: tb

西暦1970〜

上本町近鉄百貨店の旧本館が撤去され、その跡地に、旧館と同規模のターミナルビルが建設されました。上本町駅は、地上駅の配線変更やホームの延長等の改良を施されました。

大阪線の複線化が完了したのもこの時期です。桜井〜宇治山田間の開通当初は名張〜中川間の41.7kmが単線でしたが、昭和34年から複線化を進め、42年には上津〜中川間の17.9kmを残すのみとなっていました。この区間は山岳地帯が多く、その複線化は相当に困難でしたが、単線区間で上り特急列車と下り特急列車の正面衝突事故が発生、40人を超える死者が出たことから、早急な複線化が急務とされました。この工事は47年8月に着手され、49年8月までには、この区間のうち9.7kmが複線化されました。当時最大の難関であった新青山トンネルの掘削、及びその前後の区間も50年11月には完成。これにより、旧青山トンネル付近の連続急勾配、急曲線も大幅に改良されました。

そして1ヶ月後の12月、鳥羽線の複線化も完成し、大阪上本町〜鳥羽間152.5km、名古屋〜鳥羽間120.3kmの複線化がすべて完了しました。

車両の面では、特急車両を昭和46年〜56年に190両新造。その中でも52年の12400系、53年の新ビスタカー30000系は、伊勢志摩への旅客誘致や、名阪直通特急の強化に貢献しました。また、沿線のベッドタウン化に伴って、利用者数が56年には1日平均約204万人となりました。その大半が朝夕のラッシュ時間帯に集中するため、車両の増加、列車の増発、長編成化に尽力しました。昭和46年〜56年に製造された幹線用通勤車両は540両。車両の冷房化も46年から開始されました。

また、省エネルギー時代が到来し、54年以降は電機子チョッパ制御、界磁チョッパ制御等の省エネルギ−化された通勤車両が次々と誕生しました。

西暦1980〜

東大阪線の長田〜生駒間の10.2kmは、全長4737mの東大阪線生駒トンネルの掘削などで、7年あまりの工期がかかりましたが、晴れて昭和61年10月1日に開業しました。開業当初より、大阪市営地下鉄中央線(長田〜大阪港)との相互直通運転を開始し、生駒〜大阪港の25.7kmを約43分で結びました。この路線は将来、学研都市へのアクセス鉄道としての大役を担うことになります。

また、近鉄はこの3年前の58年10月に、あべの橋ターミナルの整備事業に着手。在来の近鉄百貨店の東側に地下3階、地上10階のターミナルビル新館を増築しました。全館開業は63年11月。この間には、阿部野橋駅も地下東改札口の新設等の変更を受けています。阿部野橋〜針中野間などの高架化が進められたのもこのころです。53年9月に長野線川西駅付近の約0.5km、62年10月に京都線大久保駅付近の約1km、62年12月に南大阪線阿部野橋〜針中野の約3km、そして平成2年3月には名古屋線戸田〜伏屋の約1kmの路線がそれぞれ高架に切り替えられました。それに伴い、25ケ所の踏切が廃止され、列車の安全な走行が確保され、交通渋滞や鉄道による地域の分断などが解消されました。

63年には、京都線と京都地下鉄の相互直通運転が開始されました。近鉄は昭和49年に京都市と基本協定を結んでおり、両者間で準備を進めていました。連絡地点となる竹田駅は、従来の駅から京都寄り350mの地点に新駅を建設、62年7月から営業を開始しました。烏丸線は56年5月北大路〜京都間が開通、さらに南へ工事を進め、63年6月11日京都〜竹田間が開通し、近鉄線に接続。8月から新田辺〜北大路間25.9kmで相互直通運転を開始しました。

昭和59年には、「鉄道車両にとって究極の制御方式」と言われる「VVVFインバーター方式」を採用した通勤電車が登場しました。VVVF車両の投入によって、近鉄は引き続き、省エネ鉄道づくりのパイオニア的役割をになっています。

西暦1990〜

昭和63年に「アーバンライナー」が登場し、難波〜名古屋は、最速2時間4分で結ばれることになりました。また、平成2年に吉野特急に「さくらライナー」が登場し、こちらは南大阪線の主役として活躍しています。平成2年には2階建ての団体車両「楽」が、平成4年に汎用特急車両「ACE(エース)」が、平成6年には「伊勢志摩ライナー」が登場しました。これらの車両によって、より快適な特急列車の旅が楽しめるようになりました。

昭和63年に登場した新型通勤電車「5200系」は、3扉でオール転換クロスシートと、画期的な座席配置を採用し、注目されました。ラッシュ時に対応しにくいことから、近鉄では13編成52両で増備は打ち切られましたが、5200系はJRや他の私鉄にも大きな影響を与えました。特にJR西日本は、3扉転換クロスシートの車両を次世代の近郊型車両と位置づけ、「221系」「223系」を約1000両新造して、「新快速」「快速」「大和路快速」「関空快速」、そして最近では「紀州路快速」「丹波路快速」などに大量投入を続け、大きくシェアを伸ばしました。近鉄もこれによって乗客を奪われました。皮肉なものです。

平成8年、近鉄は新型座席「デュアルシート」を開発しました。このシートは、混雑時にはロングシート、閑散時にはクロスシートとなる画期的な座席で、「ラッシュにも対応できるクロスシート車」として注目を集めています。同年、1編成が改造によって、デュアルシートを装備した「L/Cカー」となりました。その後も、従来車の一部を改造したり、新車に装備したりして、「L/Cカー」は両数を増やしています。

平成12年春には、新型通勤車両「シリーズ21」が登場しました。この車両は、車体カラーをはじめとしてほとんどの設備が一新されました。2000年度だけで58両が投入され、今後の近鉄の通勤車の主役となるのは間違いなさそうです。シリーズ21には、「L/Cカー」もありますし、ロングシート車もあります。

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