このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

リニアモーターカーの歴史

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我が国のリニアモーターカーの開発の歴史は、1962年まで遡ります。
当時はまだ東海 道新幹線も開業前ですが、
当時の国鉄では次世代高速鉄道の研究として、最高時速 500km/hを目標とする浮上式鉄道の検討が開始されました。
そして1970年、超伝導磁気浮上式リニア・シンクロナス・モーター(LSM)推進方式の技術開発に着工。
2年後の 1972年にはこのLSM推進方式を採用したLSM200が浮上実験に成功します。
また同年、リニア・インダクション・モーター(LIM)推進による展示用実験車、 ML100も磁気浮上走行に成功します。
この『ML100』の『ML』は『Magnetic Levitation(磁気浮上)』の頭文字、『100』は鉄道100周年記念という意味だそうで す。

そして1977年4月、宮崎に実験線が開設されます。
ここでは開設から3ヶ月後の7月、
宮崎実験線の初代実験車輛であるML-500が磁気浮上走行に成功(ML500の 『500』とは、目標とする500km/hを意味するそうです)、
その後も1979年のML- 500による世界速度記録517km/hの樹立、
冷却装置を搭載したML500Rでの走行実験等、リニアモーターカー実験の中心地となります。
そのころは逆T字型ガイドウェイが使用されていましたが、この逆T字型ガイドウェ イを採用した車輛は座席を設ける場合、
逆T字の頂点部に位置する台車上部に客室を設 置することになるので、車体は大きく、また重心も高くなってしまいます。
そのためML−100、ML−500には共に人が乗るスペースはありません。

そこで将来の営業を見据え、1980年に宮崎実験線はガイドウェイを箱型の車輛を製作できる逆U字型に変更しま す。
その逆U字型ガイドウェイに対応した車輛が3両編成のMLU−001です。
この車輛には逆U字型ガイドウェイの特性を生かし、先頭車に8名、中間車に16名分の座席が設置されています。
この車輛は1986年、3両編成の状態で352,4km/hを、1987年には2両編成・無人走行で405,3km/h、有人走行で400,8km/hを記録します。
同年5月には後継車としてMLU−002が走行実験を開始します。
この車輛は1両編成ながら、44名の定員を確保しています。
この車輛は分岐測線進入試験、側壁浮上特性試験、乗り心地の改善を図るための弾性支持特性試験等に利用されていましたが、
1991年に走行実験中に焼失してしまいます。
なお、前述のMLU−001は、MLU−002が走行実験を開始した後も、
1987年には緊急着地ブレーキ、1989年には空気抵抗を利用 した空力ブレーキの試験のために再度使用されています。
1990年10月、山梨実験線の建設が始まります。
その間も、宮崎実験線では1991年 に焼失したMLU−002に代わるMLU−002Nでの走行実験開始や、
1995年の、同じくMLU−002Nでの有人での最高速度411km/hの記録など、走行実験が継続されます。

そして1997年、山梨県の総延長42,8kmの山梨実験線での走行実験が開始されます(これに伴い、宮崎実験線での走行実験は終了します)。
ここでの初代実験車輛はMLX01です。
この車輛は3両編成で、空力ブレーキやディスクブレーキも搭載されています。
また、甲府方先頭車には46名、東京方先頭車には30名の定員も確保されています。
このMLX01は1997年に、有人・無人でそれぞれ531km/h・550km/hの速度を記録します。
また1998年には、相対速度996km/hでのすれ違い試験に成功。
その後も 1999年3月の5両編成・無人走行での548km/h、同年4月の有人走行での552km/h を記録する等、走行実験を重ね、
さらに同年11月のすれ違い試験では、相対速度1003km/hを記録し、今に至っています。


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