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第4章 考察・検証そして理論体系の解説
■考察
とはいえ、以上は理論的な展開である。
理論とは「よくわからないことに仮定・前提を置く思考体系」にほかならず、その仮定・前提が是ではない場合、結論の全てが覆されることになる。
ここで、以上の分析における主な仮定について検証する。
▼利用者便益分析理論
利用者便益分析理論での「算出される利用者便益は社会全体に発生する便益の総和」という仮定(あるいは命題)の真偽を立証することは、極めて困難である。
真偽いずれであれ立証できれば、経済学博士どころかノーベル賞ものの業績である。私の手には余るし、他の誰かに立証せよともいえない。それほど難しい対象である。
仮に「偽」であることが立証できれば、上記の結論は根底から覆るが、これを立証することは私の能力を超過する。
ただし、私が「この仮定(命題)は本当か?」との懐疑を抱いていることは否定しない。この理論が実体経済の中でほんとうに「真」なのか、あやしいと感じている。だからこそ「公共事業は『財を再生産する』対象に投資すべき」という根拠の乏しい持論を展開していたりするのだが、この仮定が「偽」であると自力では証明できないため、隔靴掻痒の観あり、というところ。あしからず御承知おき願いたい。
▼需要曲線
この分析での需要曲線は、経済学で一般的に仮定されているもので、多少ニュアンスの違い(双曲線でなく負の一次関数とか)があったとしても、各ケースを極端な状況に設定しているため、傾向が異なるとは考えにくい。
ここで、需要曲線の仮定が根本的に異なる場合、例えば、
Q=Constant
つまり、利用者数がXY間の移動に伴う一般化費用の変動に対して感応せず、常に一定である場合、これは現状が「限界効用」に達していることを示している。
この状況において利用者便益を算出することは、形式的には可能である。しかしながら、一般化費用の変動に需要が連動しないとあれば、プロジェクトを実行する意義そのものを問わざるをえない。このような状況では「受益者負担原則」は至当であり、説得力を持つ原則として社会に受容されるものと考えられる。
▼貨幣価値換算
この分析では時間価値50円/分としたが、この設定次第で社会的便益は大きく異なってくる。これが大きくなればなるほど、課金は正当化しやすく、また容易になる。
▼課金の形態
例えば現金払いとクレジットカード払いとでは、消費者の消費性向に違いが出てくるのと同様、課金形態によって支払抵抗に差違があることが、様々な分析から確認されている。
ここで、20分の時間短縮に対する課金を特別料金として賦するのではなく、XY両市での消費税率増加(それも内税)で回収するものとすれば、支払抵抗は少なくなり、結果として利用者便益を減殺しない。
■まとめ
現在オーソライズされている利用者便益分析理論を「是」とする限り、「受益者負担の原則」は利用者便益を相対的に低水準化する。
ただし、課金形態を支払抵抗の少ない形にする、その変形として利用者便益を別ルートにて環流するスキームを構築する場合においては、その限りではない。
また、現在オーソライズされている利用者便益分析理論が「非」であることを証明できれば、分析結果は根底から覆り、「受益者負担の原則」は相応に説得力を持つ。個人的には実は「非」ではないかとの疑いを持っているが、この証明は大至難であり、論点としての提示は回避したい。
論点として残るのは、当該プロジェクトが利用者便益分析理論を体現するか否か、との見極めであろう。理論が常に実際に当てはまるとは限らないので、個別的な検証が必要である。
この分析を例にとると、20分も時間短縮したにもかかわらず、利用者数が増えないような場合は、理論の体現を疑ってしかるべきである。移動にかかる一般化費用が低減されても需要が伸びないとは、前述したとおり、現状が「限界効用」に達していることを示しており、プロジェクト推進を図るべきではないと理解できよう。また、そういう状況でこそ「受益者負担原則」、即ち直接的に受益する利用者が対価を払うべきという思想は社会的に受容されるであろう。
■最後に理論の背景解説
以上のとおり、「利用者便益分析理論」と「受益者負担原則」とは両立しにくいことが示されたが、これは両者の理論的背景がまったく異なることに根源がある。
「利用者便益」とは誤解を招きやすい用語で、より厳密に定義すれば「消費者総余剰」であり、「社会全体に発生する便益の総和」であるとされる。
この分析では、計算の単純化のため、鉄道の利用者数と一般化費用のみを変数としたので、あるいは誤解を招いたかもしれない。本来の変数は、総利用者数と全交通機関を総合した一般化費用であることを鑑みれば、「社会全体に発生する便益の総和」であることが容易に理解できよう。
即ち、「利用者」の「便益」と銘されてはいるものの、最終的に受益する主体が狭義の利用者であるとの保証は実はない。
国をはじめとする自治体で、プロジェクト評価に「利用者便益分析」をベースに置いた「費用対効果分析」を採りあげていることは、
「最終的な便益は誰が受益するかにかかわらず、社会全体の効用を効率的
・効果的に増加させるプロジェクトに優先的に公費を投入する」
ことを政策の基本理念としているにほかならない(ただしこれが明確に意識されているかどうかはまた別問題である)。
これに対し「受益者負担原則」には、
「どのようなプロジェクトを実行しても社会全体の効用は増加しない。
だから、直接の受益者がプロジェクトのコストを負担するべきである」
という「限界効用」を前提とした理論背景がある。「受益者負担」とは、いわば商行為を理論化したものであって、便益の発生が限定的かつ特定できる状況に適用すべき理論といえる。
従って、「利用者便益分析」と「受益者負担原則」の相性が悪いのは当然であり、一般的な状況では両立しえない概念とさえいえる。
かろうじて接点があるとすれば、開発利益の還元等バイパス的な手法による、投下資本の回収ということになるであろうか。「社会全体の効用が増加」すれば「財産価値も向上し国富が増加する」という流れが「利用者便益分析」の本義であるならば、最終的に帰結された便益の一部を「税」にて回収する手法こそが、政策的に妥当ということになる。
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