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高爪山の歴史
高爪山(羽咋郡富来町大福寺)
高爪山は、その円錐状の秀麗な姿から、通称能登富士と呼ばれ、福井や加賀の沖からも見え、古くから航海の目標とされたほか、日本海の沖を行き交う人々が厚い信仰を寄せていた霊山でありました。別名は、他に能登富士の他に、能登の笠山、金龍山、大福寺山、鷹爪山、洞ヶ岳、嶽山などがあります。今でも、山頂から山腹にかけて、ケヤキ、エノキ、タブ、ヤブニッケイなど常緑広葉樹、落葉樹が混じる自然林となり、山頂は大木で覆われ、昼尚暗い場所である。『能登志徴』によれば、「大福寺山の観音は、風無村(富来町)漁師の網に懸かり上がり給う」「絶頂に當国廿六番の札所観音堂あり。脇に薬師石躰の大佛あり。是荒木の海より上がり給う大佛・・・」とあります。
標高341mの山頂には、本殿(六所宮(現在高爪神社))が鎮座し、山麓の台地には拝殿が建立されています。主神の高爪大明神(日本武尊)の他に、
気多大明神
・伊須留岐(いするぎ)(石動)権現・
白山妙理権現
・若王子・
八幡大菩薩
の仏神が勧請されていました。山容は典型的な「神奈備(かんなび)」の形態を有しています。おそらく原始の頃から、神体山として仰がれ、中世には能登山伏の一根拠地となり、さらに伊勢神道の影響を受けて発展した時期もあったものと思われます。社伝によれば、創立年代を欠くも7世紀末、持統天皇が山上の宮を内宮、山麓の宮を外宮として祈願所としたいい、大宝年中に高爪大明神の勅宣を賜り、聖武天皇の天平5年(733)内宮の別当12坊に勅印300石、外宮の別当57印に1000俵を賜ったといいます。しかし、天正年間に上杉謙信勢のために、旧記、社宝など一切を焼失しました。天正13年(1585)前田利家によって再興され、ついで慶安3年(1650)前田利常により社領20石が寄進され、代々の藩主の崇敬を得てきました。
ところで、先に主神の他、幾つかの合祀の神をあげたが、この地に白山・石動山や能登一の宮気多社の信仰が及んでいたのが、富来町高爪神社蔵の建治元年(1275)9月の紀年銘を持つ、六面の木版彩画懸仏(国指定重要文化財)によって知られます。
明治6年(1873)に、現在の高爪神社に改称され、明治35年県社に昇格しました。資料では、春祭3月21日、本殿祭8月3日、神幸祭8月4日、秋祭12月2日となっています。
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