このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
熱田には、JR(東海道本線)はもちろん、名鉄(名古屋本線)、地下鉄(4号線)がある。どの路線も、名古屋圏の大動脈のみならず、日本の大動脈である。この路線を行き来する列車の多様さがそれを象徴しているといえよう。ここでは、神宮前近辺に住む筆者が見知りして、考えた、どうでもいいようなことを、掲載させてもらう。
JRは、電化複線。名鉄は電化複々線で線路敷設されている熱田であるが、電車だけでなく、気動車も定期列車に存在する。JRでは、朝のホームライナー岡崎1号:8421Dがある。この列車は、8:29に名古屋に到着するため、まずまずの利用がある。もともと、岡崎は、特急用車両とは、縁のない地域であるから、早朝に名古屋方面からキハ85が回送されていくのをよく熱田駅で見かける。名鉄は、北アルプスの間合いとして、新岐阜発常滑行き504D、常滑発金山行き515Dとして使われている。神宮前では、前者は10:10発、後者は11:18発である。JRは、weekdayのみであるが、名鉄は毎日運転である。一昔前(2年ほど前)は、高山ゆき北アルプスは、名鉄内では神宮前始発となっていたが、利用客の混乱を避けるためであろうか、いまでは、新名古屋発となっている。
東海地方の鉄道の歴史は、熱田〜武豊間に開通することから始まった。熱田周辺は、当時から、東海地方の産業を支える要の地域であり、富国強兵を掲げる大日本帝国にとっては鉄道の建設を急がなければならない地域でもあった。しかし、これが、後の、熱田大空襲を招いたわけである。もちろん、戦後の復興にも鉄道は欠かすことのできないものであったわけで、今現在も頻繁に列車が往来する東海道筋を中心に多くの鉄道が敷設されたし、されようとしていた。神宮前には十数年前まで、日本車輌工場があり(本社はいまもある)引込線がたくさん並んでいた。日比野の名古屋中央卸売市場 (注) へは、東名古屋線より引込線があったが、今では撤去されている。新幹線沿には、六番町から笠寺にかけて南方貨物線の高架が、工事半ばにして放置されている。考えてみれば、熱田が交通の要所であるということはここ400〜500年間揺るぎ無いものであったし、名古屋の発展は、熱田抜きでは語れない。鉄道が産業の大黒柱でなくなりつつある今でも、熱田が、人々の交流の交差点である。こういう見方からも、熱田に集まる列車の多様さが説明できるであろう。
熱田区は二本の地下鉄線が貫いている。名城線と4号線であるが、このうち、4号線は数年内に大曽根〜名古屋大学間が開通する。ゆくゆくは、名古屋環状線として列車がとおることになる。もともと名城線として扱われているが、開通20年を経過し、施設の老朽化がさけられないなかで、1989年に開催された、世界デザイン博覧会のときに、西高蔵駅と日比野駅は改装されており、いまでは名古屋国際会議場の最寄り駅としての十分な機能を果たしている。博覧会の跡地の一部には、公団の団地がたてられ新しい町並みが、また西側には、中川区へ抜ける道沿いに古くからの商店街がある。神宮西駅は、熱田神宮で行事があるたびに、賑わいを見せている。特に、正月になれば、終夜臨時がたくさんの乗降客を扱うのも神宮西駅である。伝馬町駅は、旧東海道の宿場町「宮」の中心地であり、かの有名な、七里の渡しも徒歩7分のところにある。商店街が東西によこたわっており、古くからの町並みを散策してみるのもよかろう。六番町駅は、中川区方面へのバスターミナルがあるが、南側の交差点は、国道一号線と江川端通りが交わる上に、陸橋で、新幹線がクロスする場所である。駅付近には、つい最近まで、国道沿いにユニー六番町店があったのだが、南のほうに、同じ会社でアピタ東海通店があるため、閉鎖されてしまった。これにより、人の流れが、東西でなく、南北に広がりを見せつつあるようだ。余談だが、市内で唯一の三重交通の路線バスとも接続する。名城線の車輌は、第3軌条方式であり、車体長は、小型で18mを割り込む。いまでこそ、冷房車が増えたが、いまだに、1000型は残っている。平日の列車間隔は8分で、車社会の名古屋では、この間隔でも多いくらいというのが現状である。
中央卸売市場 と書いてある個所がありますが、 その後の調査で、熱田貯木場 が正しいようです。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |