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踊る時刻表>あれこれ>時刻表の片隅から>2003年01月20日(火)


■2004年01月20日(火)

▽18きっぷの旅(その3)
 18きっぷが1日分余ってしまった。なんやかんやで取り引きした結果、きっかり1日分余ってしまったのである。そして気付けば1月19日。有効期間が20日までだから、そのまま持っていても丸損である。19日は平日だが授業の都合でお休み。…と言うわけで、のそっと旅立った。早起きをするでもなく起きて、駅に行こうと思ったら窓の外は雪景色。気温が高いせいか水を含んだみぞれのような雪であった。10分程度遅れてやって来たバスに乗り、駅へ。一応時刻表は持って来ていたが、どうするかは行き当たりばったりにすることにしていた。目標は「くりはら田園鉄道完乗」のみである。もちろん独特の運転方式など、趣味的な興味はある。しかしながら廃止フィーバーに乗るなどというみっともない真似はしたくない。と言うより、そんなことで「わかった気」になるのは私が嫌いとするところなのである。
 …そう言えば、正月、帰仙途上の中央西線乗車中に故障し、ヨドバシ○メラ仙台店から「メーカー送り」になっていたデジカメは「修理代4万円」を告げられた。にーきゅっぱで買ったデジカメに4万円かけて修理するわけにはいかない。半ばヤケで、お年玉も(この年になっても)もらっていたことだし、店頭で見かけたよさげなデジカメを購入した。前のデジカメはスマートメディアを使っていたのだが、今の世の中スマートメディアは淘汰されているようである。そんなわけでSDカードまで買わされる羽目になった。いやはや。しかもこの買い物の途上、仙台市営実沢営業所車両の方向幕がLED化された車両を目撃してしまった(6423)。ついに、仙台市営バスからフィルムの方向幕が消えるのか…。ともかくも、今回の旅はそのデジカメの処女撮影行も兼ねていたわけである。
 仙台駅の発車案内を見ると、東北本線下り列車はしばらく松島止めの各駅停車しかない。とりあえず仙石線ホームに降り、各駅停車東塩釜行きで本塩釜へ。後続の快速「うみかぜ」石巻行きに乗車して石巻を目指す。ドア脇に立って、並走する東北本線をぼやーっと眺めていた。みぞれ混じりの雪はまだ降っている。松島海岸駅を過ぎた頃、ふと客席を見やった時に女性客と目が合った。「あっ…」久々に会う知り合いであった。彼女の下車駅まで雑談をするに至った。石巻定刻。「萬画の国いしのまき」を宣伝する看板やポスター、像などがあちこちに見られる。一旦改札を出て、駅前に出てみたが雪が激しく、やたら寒かったのですぐ駅舎に戻った。ほどなくやって来た石巻線列車で小牛田へ向かう。車内は下校途中らしい女子高生で華やかな雰囲気だった。
 石巻線車内で時刻表をひもとくと、この列車から東北本線下りに乗り継いでも石越駅でくりはら田園鉄道にうまく接続しない。しょうがないので小牛田から陸羽東線に乗って古川まで往復し、さらに小牛田駅前のAコープに寄ったりしてから石越を目指した。くりはら田園鉄道の乗車記は「会社線」コーナーの「
くりはら田園鉄道 」をご参照いただきたい。やたら渋く、感動的な風情だった。石越に戻り、ガラガラの仙台行きに乗り込んだ。小牛田まではワンマン、小牛田で前に4両つないで6両で仙台駅1番乗り場に到着した。電車を降りてふと見ると中線に何かいる。EF81にマニ50がつながって…ん? 南武線色の205系? この辺は「仙台特集」コーナーの「 目新しいできごと@仙台>013 」を参照。
 なかなか盛り沢山の旅であった。いや、なんともいい気分である。

▽いちご100%(その2)
 結局、某黄色い古本チェーン店と、市内の本屋さんで1〜8巻全巻揃えてしまった。散財と言うか、我ながら感情まっしぐらな気がしてやや気恥ずかしい。…いや、北大路さつきにやられてばかりである。主人公の真中クンが東城や西野に執着するのが私にはわからない。…って、これでは私の願望丸出しではないか。別にスタイルがどうこういうわけではなく、性格的な好みなのである。断じて。…現実はなかなかそううまくいくものではない(と言うかぶっちゃけうまくいっていない)ので、思わず現実逃避しそうになる今日この頃である。
 別に集英社の回し者でもなんでもないので、読むのを勧めるつもりは毛頭ないが、やはりラブコメ世界と現実世界の間には大きな隔たりがあるに違いないと漠然と考えてしまう。実際共学校出身の友人は「ラブコメ? マンガとかはもう突っ込みどころ満載だし、ドラマとかだって、ぜってーありえねっつの」などとのたまっていた。なるほど、と、ため息が白く変わる今日この頃であった。…あぁもう、文章になってない。

▽博多弁
 河北新報の一面の下部にある「河北春秋」というコーナーで東洋大学が募集した現代学生百人一首が紹介されていた。<じーちゃんめばはよあけないたのむけんチューブにまかれかってにしぬな>高2女。…この方言の言い回しが、痛いほど情景を私に伝えてきた。やはり私は九州の人間であるようだ。
 何となく、博多弁が懐かしくなったので博多弁で和歌をひねってみた。
 仙台エリアの電車のドアを前にして一首、<開かんとよ勝手に開いたら寒かけんみんなボタンで開けしぇきしんしゃる>「しぇく」というのは「閉める」という意味である。
 雪の日のバスにて一首、<ちゃらちゃらと何の音やかやかましか坂登れんけんチェーン巻いとる>乗り心地も結構悪かったりする。
 ついでに「博多にわか」もどき。
 ——あんたくさ、仙台じゃまだ地下鉄東西線の話でもめとーばって、赤字続きのもう一つの路線が文句言いよーげな。
 ————ほう、なんてな。
 ——なん、僕(南北)どーなると? て。
 お後がよろしいようで。
 私などは、他の人が言った言葉を第三者にに伝える時も、その「他の人」の言葉まで博多弁になってしまう。福岡で喋っている分には全く構わないのだが、違う地方に来るとなかなか不自然なものがある。例えば。「あいつ、山形出身なんやろ。『山形やったらこんなん雪ふったうちに入らんよ』とかって言いよったよ」…山形出身者がそんな喋り方をするわけがない。とは言え、無理矢理山形弁を真似して伝えるのも無理な話である。認識の方法の問題なわけで、結局のところ内容を理解するのは「自分の言葉」で、ということになるのだろう。そんなわけで、あるいはマンガのセリフのようなものもそうやって認識しているのかも…。
 

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